粟崎遊園
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粟崎遊園(あわがさきゆうえん)とは、かつて石川県河北郡内灘村(現 内灘町)に存在した遊園地である。
1925年(大正14年)、浅野川電気鉄道社長で、材木商であった平澤嘉太郎によって開設された。同時期、金石電気鉄道が経営する涛々園が近くにあり、互いに競い合うように拡張を行っていた。
1941年(昭和16年)に軍に接収され閉園。戦後も再開されること無く歴史を閉じた。
主な施設
「大山すべり」と呼ばれるすべり台は全長が70mを超え、大人にも好評であった。
年譜
- 1925年7月19日 開園
- 1928年 新国劇の俳優 川上一郎を座長に「粟ヶ崎大衆座」が開演
- 1928年 宝塚少女歌劇を倣って少女歌劇を編成
- 1929年1月7日 放火のため本館を残して全焼
- 1929年4月 火災から復興
- 1932年5月30日 大衆座座長、演芸部長の川上一郎が急逝。訃報を聞いた平澤も倒れる
- 1932年6月1日 平澤嘉太郎死去。浅野川電気鉄道専務の東耕三が代わって運営
- 1933年頃 川上の穴埋めに「藤井とほる一座」が出演。一座の枡田洋が益田喜頓に改名
- 1933年12月8日 浅野川電気鉄道直営となる
- 1937年 粟崎遊園歌劇学校が発足
- 1941年8月31日 休園。そのまま閉園となる。跡地は日本タイプライター系列の軍需工場に転換された。
参考文献
- 『金沢市史 通史3 近代』 2006年
- 『日本の遊園地』 2000年、講談社現代新書・橋爪紳也著
- 『粟崎遊園物語』 1998年、内灘町