オート=ソーヌ県
オート=ソーヌ県(Haute-Saône)は、フランスのフランシュ=コンテ地域圏の県である。名称はソーヌ川に由来する。
歴史
フランス革命後の1789年12月22日に誕生した。アンシャン・レジーム時代のフランシュ=コンテ州の一部、アモン代官区(fr)で構成されている。
地理
コート=ドール県、オート=マルヌ県、ヴォージュ県、テリトワール・ド・ベルフォール、ドゥー県、ジュラ県と接している。県内には32のカントンがある。南西から北東に向けた横長のかたちをしている。ローヌ川谷の経済発展の軸であり、富とサービス産業が集中するライン川谷を含むヨーロッパのブルーバナナ地帯(ロンドンからジェノヴァまで)に位置する。
地形はおおまかに以下に分けられる。
- ヴォージュ地方の平野部で、ソーヌ川が流れる地帯
- 北部のラングル台地へとつながるウマの蹄型の石灰岩質台地。ジュラ山地が始まる南東部はオニョン川谷で分断されている
- 北部へ伸びる丘陵地帯
- ヴォージュ山地の沈降帯
ヴォージュ山地の南限は、ジュラ山地との間にあり、アルザスへ向かう峠のあるベルフォール台地である。
県面積の2250平方キロメートルを森林が占め、そのうち1220平方キロメートルがコミューンの所有である。
統計
農業が主体の県であるが、過去に大きな人口減少を経験している。19世紀半ばには35万人ほど、1896年には約27万人を数えた県人口は、第一次世界大戦前夜には25万人へと減少し、第二次世界大戦勃発により20万人を切る事態となった。人口は1970年代までに徐々に盛り返していき、1999年には22万人に達した。今日、ほとんどの都市では人口が微増であり、むしろ減少している。県北東部のベルフォールに近接した一帯だけが、人口増加傾向にある。
備考
バルジの戦い、マルメディ虐殺事件などで知られる元SS大佐のヨアヒム・パイパーは、第二次世界大戦後、オート=ソーヌ県トラヴェスに偽名で家族と隠遁していた。そこで翻訳家として生活していたが身元が発覚。1976年のパリ祭前夜にあたる7月13日夜、自宅に火炎瓶が投げ込まれ愛犬と共にパイパーは焼死した。