トム・ブレイディ
トム・ブレイディ(Thomas Edward "Tom" Brady,Jr.1977年8月3日生まれ )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のアメリカンフットボール選手である。ニックネームはトム・トリフィック[1]。ポジションはクォーターバック(QB)で、NFLのAFC東地区に所属するニューイングランド・ペイトリオッツでプレーしている。2000年代から現在にかけてのNFLを代表する選手の一人である[2]。NFLドラフトで6巡全体199位で指名を受けプロ入りを果たすと2年目から先発QBに定着し、以後3度のスーパーボウル制覇を達成している。6度のプロボウル選出のほか、それぞれ2度のNFL MVP、スーパーボウルMVP、リーグ最優秀攻撃選手の選出を誇る。リーグMVPとスーパーボウルMVP双方の複数回受賞はブレイディを含めリーグ史上2人しか成し遂げていない快挙である。
目次
プロ入り前
サンフランシスコにほど近いカリフォルニア州サンマテオで生まれる。出身高校は地元サンマテオのジュニペロ・セラ高校で[3]、同校はNFLの殿堂入りワイドレシーバー(WR)であるリン・スワンや野球選手のバリー・ボンズなど多くのスポーツ選手を輩出している。小さいころからサンフランシスコ・49ersのファンで、QBジョー・モンタナは彼のアイドルだった[4][5]。高校時代までは野球もプレーしており、1995年にはMLBのモントリオール・エクスポズから捕手としてドラフト指名を18巡で[6]受けている[7]。
1996年にミシガン大学に入学する。チームには後のプロボウルQBであるブライアン・グリーシーなどが在籍しており、ブレイディは当初7番手QBだった[5][8][9]。激しい競争の中でブレイディはスポーツ心理学者を雇い不安やフラストレーションへの対応を学ぶが、同時に転校も考えていた[9][10]。最初の2年間を控えで過ごしたのち1998年に後にメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースに入団するドリュー・ヘンソンとの激しい競争の末チャンスを掴むと[10][6]、以後チームのスターターQBとして定着し25試合で20勝をあげた。1998年シーズンにはチームのシトラス・ボウル制覇に貢献し、1999年シーズンにはオレンジボウル出場を果たすとアラバマ大学とのオーバータイムの激戦を35-34で制し、ブレイディはパス369ヤード4タッチダウン(TD)の活躍でチームの勝利に貢献した。
しかし2000年のNFLドラフトではドラフト6巡(全体199位)指名と高い評価を得ることができなかった。あるレポートでは「貧層な体格で、細く痩せこけており、機動力とラッシュをかわす能力を欠いていて、強肩でもない。」と評価されていた[8]。ブレイディの前には後のプロボウルQBであるチャド・ペニントン、マーク・バルジャーなど合わせて6人のQBが指名されていた[5]。2011年にESPNがブレイディとブレイディの前に指名された6人のQB達の人生を追った"The Brady 6"というドキュメンタリーを作成した。その中でブレイディはドラフト当時を回顧し、指名が遅れた悔しさや長年支えてくれた両親への思いなどから涙を浮かべた[11]。またドラフトされた瞬間については「最高に興奮したよ。『これで保険会社のセールスマンにならなくてすむんだ!俺は指名されたよ。ありがとう神様!』」と振り返っている[12]。
ニューイングランド・ペイトリオッツ
2000年シーズン
ブレイディはドラフト指名を受けたAFC東地区に所属するニューイングランド・ペイトリオッツに入団した。チームのオーナーであるロバート・クラフトに初めて名前を呼ばれたときは誤って「カイル」と呼ばれた。(オーナーがタイトエンド(TE)カイル・ブレイディと混同したため[5][13]。)ブレイディは「ミスター・クラフト、僕を指名したことは今まであなたの組織が下してきたなかで最高の決断です。」と真剣に語った[5][10]。
ペイトリオッツではスーパーボウル出場経験もあるエースQBのドリュー・ブレッドソーがスターターQBを務めており、またブレイディを含めチームには4人のQBがいた。ルーキーのブレイディは最初のトレーニングキャンプを4番手QBの待遇で過ごし[10]、レギュラーシーズンでは敗戦濃厚になったデトロイト・ライオンズ戦でプロ初出場を果たしたがルーキーシーズンの出場はこの試合だけであった。ブレイディのプロ一年目はパス3回中1回成功6ヤードTDなし、4人のQBの中で最も少ない出場に終わった。名門ミシガン大学で2年間エースQBとして活躍したブレイディにとって、ドラフトでの低評価や一年目のチームからの評価は少なからず屈辱的なものであった[9]。ある日ブレイディはQBコーチが置き忘れたノートブックを好奇心からめくってみると、そこには「反応が遅い」などといった厳しい評価が記されており、「彼は全てにおいてスピードを上げる必要がある。」と指摘されていた[6][13]
2001年シーズン
チームはオフにブレッドソーと10年1億300万ドルという大型契約を結んだ[14]。またブレッドソーの控えとしてデーモン・ヒュアードを獲得し、依然としてブレイディの評価は決して高くはなかった。ブレイディはQBコーチのディック・レイバン(レイバンはブレイディを高く評価し、ドラフト指名を進言した人物でもある[5]。)と共に練習に明け暮れるが、2001年の8月にレイバンが心臓発作のため帰らぬ人となった[10]。当時チームはトレーニングキャンプの最中だったため、レイバンの代わりにヘッドコーチ(HC)のビル・ベリチックがQBコーチの役割を引き継いだ。これがブレイディにとって転機となる。ベリチックはヒュアードではなくブレイディをブレッドソーのバックアッパーとして起用することを発表し[10]、ブレイディはその後のプレシーズンゲーム3試合に出場し上々の成績をおさめた。
アメリカ同時多発テロ事件で中断されていたレギュラーシーズンが再開された9月23日、第2週のニューヨーク・ジェッツ戦でさらに大きな転機が訪れる。エースQBブレッドソーがモー・ルイスのハードタックルで胸部内出血の重傷を負い、代わりにバックアッパーであったブレイディが出場した[6]。この出来事は後述のペイトリオッツ王朝の始まりとして語られることがある[15]。この試合には敗れたが、続く第3週でプロとして初のスターター出場を果たしインディアナポリス・コルツを44-13で破ってキャリア初勝利をあげた。第5週のサンディエゴ・チャージャーズ戦ではキャリア初のTDパスを通すとともにチームを見事な逆転勝利に導き、第6週ではコルツを相手に3TD、QBレイティング148.3と自身最高のパフォーマンスでチームの勝利に貢献した。第15週のマイアミ・ドルフィンズ戦では23ヤードのパスレシーブも記録している。ブレッドソーが戻った後も先発を任されたブレイディはペイトリオッツの正QBに定着し、シーズンでパス2,843ヤード18TD、QBレイティング86.5という活躍をおさめ初のプロボウルに選出された。ブレイディの活躍やHCベリチックの指揮するディフェンス陣の奮闘もあり、チームは11勝5敗で地区優勝を果たし第2シードでプレーオフに進出した。
プレーオフ
ホームのフォックスボロ・スタジアムで行われたディビジョナル・プレーオフでは豪雪の中オークランド・レイダーズと対戦した。前半はインターセプト(INT)を喫するなど第4Qまで13-3とリードを許すが、その後自らのTDランで追い上げると3点を追う試合時間残り2分6秒からのドライブでは疑惑の判定の後アダム・ビナティエリが45ヤードのフィールド・ゴール(FG)を決め同点に追いつき試合はオーバータイムへ突入する。先にレシーブを得たペイトリオッツは敵陣28ヤード地点での4thダウンギャンブルを成功させるなどして敵陣深くに進入し、最後は再びビナティエリがFGを決め16-13の逆転でレイダーズを撃破した。第4Q終盤での疑惑の判定は大きな波紋を呼び、この試合はその判定が下された元となったルールの名称をとってタック・ルール・ゲームと呼ばれている。このタック・ルール・ゲームはその後のブレイディとペイトリオッツの運命を大きく左右した試合として知られている[16]。AFC第1シードのピッツバーグ・スティーラーズとの対戦となったAFCチャンピオンシップゲームではブレイディが第2Q途中に負傷するアクシデントに見舞われるも、スペシャルチームの活躍や代わったブレッドソーがTDパスを決めるなどして試合を優位に進め、24-17でスティーラーズを破りチーム史上3度目のスーパーボウル出場を果たした。
リーグトップのオフェンスを誇るセントルイス・ラムズとの対戦となった第36回スーパーボウルでは、第2Q終盤にブレイディがWRデイビッド・パッテンへTDパスを決めるなど圧倒的不利と言われていた前評判を覆し[17]、一時はペイトリオッツが17-3とリードを奪った。しかし第4Qにラムズが猛追を見せ、第4Q残り1分21秒というところで17-17の同点に追い付かれた。試合はスーパーボウル史上初のオーバータイムにもつれるかと思われたが、ブレイディはタイムアウトを使いきった自陣15ヤードからのドライブをWRトロイ・ブラウンへのパスなどで敵陣31ヤードまで進め、残り7秒から最後はビナティエリの決勝FGでタイムアップとなる劇的なウイニングドライブを決めた。
スーパーボウル制覇を成し遂げたブレイディはQBとしてNFL史上最も若い(すべてのポジションを含めれば3番目に若い)スーパーボウルMVPに輝いた[18]。また24歳でのスーパーボウル制覇は当時のスーパーボウル優勝QB最年少記録であった[19]。NFL史上に残る番狂わせ[17]に貢献したブレイディは以後NFLのスターダムへと駆け上がっていく[20]。
2002年シーズン
ブレッドソーが同地区のバッファロー・ビルズへと去り名実ともにペイトリオッツのエースQBとなったブレイディだったが、チームは序盤から中盤にかけて4連敗を喫するなどこのシーズンはレギュラーシーズンを9勝7敗で終えプレーオフ進出を逃した。ブレイディはリーグ1位の28TDパスを記録したが、14INT、QBレイティング85.7、シーズン9勝7敗という成績は2010年シーズン現在まででキャリア最低の数字である。自身も肩に怪我を抱えるなど[21]チームを含め全体的に苦しんだシーズンであったが、第10週のシカゴ・ベアーズ戦や最終週のマイアミ・ドルフィンズ戦では劇的な逆転勝利を演出し、チームも最後までプレーオフ争いに加わった。ブレイディはこのシーズン以降2010年シーズン現在まで、毎週チームのインジュアリー・レポートに「右肩の怪我」で登録されている[22][23]。なおこの怪我を理由に公式戦を欠場したことは一度もない。
2003年シーズン
第1週のバッファロー・ビルズ戦でブレイディは4INTを喫しチームは31-0で完敗した。第4週でも敗れ2勝2敗とスタートに失敗し、主力の放出と相俟ってHCベリチックに対して批判の声も上がった[24]。しかしその後チームは快進撃をはじめ、第5週からレギュラーシーズン終了まで12連勝を果たした。ブレイディはパス3,620ヤード23TDレイティング85.9の活躍をおさめチームは14勝2敗で2年ぶりの地区優勝を果たした。ブレイディはMVP投票においてダブル受賞したスティーブ・マクネアとペイトン・マニングに次ぐ票を獲得し[25]、プレーオフではその二人が所属するテネシー・タイタンズとインディアナポリス・コルツをそれぞれ破り3年間で2度目のスーパーボウル進出を決めた。
カロライナ・パンサーズとの対戦となった第38回スーパーボウルではスーパーボウル新記録となる32回のパス成功[18]を含む354ヤード3TDの活躍を見せ、29-29の同点でむかえた第4Q残り1分8秒からの攻撃ではビナティエリの41ヤード決勝FGにつながるウイニングドライブを決めチームを勝利に導いた。ブレイディは自身2度目となるスーパーボウル制覇とスーパーボウルMVP受賞を成し遂げた。スーパーボウルMVPの複数回受賞はジョー・モンタナ(3回)、テリー・ブラッドショー(2回)、バート・スター(2回)と並んでNFL史上4人目の快挙となった[18]。
2004年シーズン
開幕から第8週で敗れるまで6連勝を果たし、NFL記録となる21連勝(プレーオフを含む)を達成した。ブレイディはパス3,692ヤード28TD、レイティング92.6の活躍で2001年シーズン以来自身2度目のプロボウル選出を果たし、チームは14勝2敗で2年連続の地区優勝を果たし第2シードでプレーオフに進出した。プレーオフ初戦のディビジョナル・プレーオフではリーグ最多得点のコルツをわずか3点に抑え20-3で完勝すると、AFCチャンピオンシップゲームではブレイディのQBレイティング130.5を記録する活躍などでリーグ最少失点のスティーラーズから41点を奪い41-27で勝利した。
フィラデルフィア・イーグルスとの対戦となった第39回スーパーボウルでは236ヤード2TDの安定した活躍を見せ24-21の勝利に貢献した。MVPはスーパーボウル史上最多タイ記録となる11キャッチを記録したペイトリオッツのWRディオン・ブランチが受賞したが、ブレイディはMVPを受賞した過去2回のスーパーボウルよりも高いQBレイティングを記録した。
ブレイディはテリー・ブラッドショー、ジョー・モンタナ、トロイ・エイクマンに次いで、スーパーボウルを3度制覇したNFL史上4人目のQBとなった[18]。また28歳の誕生日を迎える前にスーパーボウルを3度制覇したQBはNFL史上ブレイディただ一人であり、ブレイディはスーパーボウル3度制覇を成し遂げたNFL史上最年少QBとなった。またキャリア最初の5年間で3度のスーパーボウル制覇を成し遂げたのはNFL史上ブレイディただ一人である。スーパーボウル連覇の偉業に加え、プレーオフ無敗のまま4年で3度のスーパーボウル制覇を成し遂げたブレイディは「Patriots Dynasty」(ペイトリオッツ王朝)[26]の象徴としてNFLに一時代を築き上げた[27]。
2005年シーズン
オフにスーパーボウル3度制覇を支えたオフェンシブ・コーディネーター(OC)チャーリー・ワイス、ディフェンシブ・コーディネーター(DC)ロネオ・クレネルの両コーチがチームを去った。マット・ライトやロドニー・ハリソン、タイローン・プールなど主力の怪我人の続出やディフェンスの不振などに苦しんだチームの中で、ブレイディ自身もスポーツヘルニアの痛みに悩まされる[28]など決して環境的に恵まれたシーズンでは無かったが、パス4,110ヤード26TDレイティング92.3とこれまでで自己最高クラスの成績を記録しキャリア3度目のプロボウル選出と初のオールプロ選出を果たした。チームは10勝6敗で3年連続の地区優勝を果たし、ワイルドカード・プレーオフではジャクソンビル・ジャガーズに28-3で完勝をおさめNFL新記録となるポストシーズン10連勝を成し遂げた[29]。しかし続くディビジョナル・プレーオフでは敵地インベスコ・フィールド・アット・マイル・ハイでデンバー・ブロンコスに27-13で敗れ、ブレイディはプロキャリア11試合目にして初のプレーオフ敗退を喫した。ちなみにブレイディ個人としてはミシガン大学時代を含めポストシーズン12連勝を記録している。怪我のためプロボウルは欠場したが[30]、試合前のセレモニーに歴代スーパーボウルMVPが招かれた第40回スーパーボウルではスーパーボウルMVPの代表としてコイントスを務めた。
2006年シーズン
第39回スーパーボウルMVPのディオン・ブランチとフランチャイズ記録となるポストシーズン通算7TDパスキャッチを記録したデイビッド・ギブンズの二人のスターターWRがチームを去り、弱体化したレシーバー陣は一部からパス隊形のショットガンを皮肉ったポップガン(紙鉄砲)と揶揄された[31]。WR陣は軒並み低い成績に終わるも[32]、チームは昨シーズン不調だったディフェンスが調子を取り戻し、ブレイディはパス3,529ヤード24TD、QBレイティング87.9の活躍でオフェンスを引っ張った。チームは12勝4敗で地区優勝を決めプレーオフ進出を果たした。
ワイルドカード・プレーオフではニューヨーク・ジェッツに大勝し、続くディビジョナル・プレーオフではシーズンMVPのラダニアン・トムリンソンを擁する第1シードのサンディエゴ・チャージャーズを24-21の逆転勝利で破った。しかしAFCチャンピオンシップゲームでは前半に大きくリードしながらも逆転でインディアナポリス・コルツに敗れ、スーパーボウル進出はならなかった。スーパーボウル、大学時代のボウルゲームを含めタイトルシップで敗れたのはキャリア初のことであった。シーズンを通してブレイディは4人の選手にそれぞれ40回以上のパス投げ、24個のタッチダウンパスを11人に投げ分けタレント不足のチームをチャンピオンシップゲームにまで導いたが、この試合ではWRリシェ・コールドウェルがエンドゾーン内でキャッチミスを犯したりコルツのミスで誰もカバーについていなかったにも関わらずショートパスを落球するなど[33]限界を見せつけられる形となった。なおフィリップ・リバースが足首の怪我で辞退したため繰り上げでのプロボウル選出を打診されたが断っている[34]。(代わりにビンス・ヤングが選出された)
2007年シーズン
オフにランディ・モス、ウェス・ウェルカー、ダンテ・ストールワースといった新たなWRがチームに加入した。多彩なレシーバー陣を手に入たブレイディはOCジョシュ・マクダニエルズと共にレシーバーをフィールド全体に大きく広げるスプレッド・オフェンスを展開[35]、パサーとしての能力を最大限に発揮しペイトリオッツと共にNFL史上に残る歴史的なシーズンをおくる[36]。
先発QBとしてレギュラーシーズン100試合目となった第6週のダラス・カウボーイズ戦ではキャリアハイとなる5TDパスの活躍を見せ48-27で勝利をおさめ、ブレイディはキャリア76勝目(レギュラーシーズンのみ)をあげた。スターターQBになってから最初の100試合で76勝という成績はカウボーイズのレジェンド、ロジャー・ストーバックと並んでNFL記録となった[18]。第7週のマイアミ・ドルフィンズ戦ではキャリアハイとなる6TDパスをあげ49-28で勝利した。ブレイディはパス25回中21回成功354ヤードの活躍で自身初となるQBレイティング満点の158.3を記録した。6TDパス、QBレイティング満点はいずれもペイトリオッツのフランチャイズ記録となった[18][37]。第8週ではワシントン・レッドスキンズを52-7で破り開幕8連勝をあげた。ブレイディは早くもキャリアハイを更新するシーズン30TDパスを記録し、ここまで1試合平均41得点という爆発的なオフェンスを指揮した。第9週では同じく無敗のインディアナポリス・コルツを24-20の逆転で破り全勝対決を制した。ブレイディはこの試合でも3つのTDパスを決め、ペイトン・マニングの持つ8試合連続3TDパス(もしくはそれ以上)の記録を塗り替えた[18]。またベイブ・パリの持つシーズン最多TDパス31のチーム記録も塗り替えた[38]。
第11週はバッファロー・ビルズを56-10で破り、5TDパスを決めたブレイディはキャリア通算TDパスを185としスティーブ・グローガンが持つフランチャイズ記録(182)を塗り替えた[18]。第12週ではフィラデルフィア・イーグルスを31-28で破ったがブレイディは1TDパスに終わり、3TDパスの連続試合記録は10で止まった。第13週のボルチモア・レイブンズ戦では相手ディフェンスの激しいパスラッシュに苦しみ第4Qで7点のリードを許すが、残り55秒でジャバー・ギャフニーへの逆転TDパスが決まり27-24で勝利をおさめた。ブレイディはシーズン40TDパスを達成したNFL史上4人目のQBとなった。第14週のピッツバーグ・スティーラーズ戦では4TDパスを決め31-13で勝利しリーグ最速でプレーオフ進出を決めた。ブレイディはキャリア2度目となるシーズン4,000ヤードを達成し、今シーズンの通算TDパスは歴代3位の45とした[39]。またこの試合は3TDパス(もしくはそれ以上)を記録したシーズン11度目の試合となり、ダン・マリーノが1984年シーズンに樹立したNFL記録を塗り替えた[39]。第15週のニューヨーク・ジェッツ戦は悪天候もありシーズン唯一のTDパスなしの試合となったが、ブレイディはQBとしてNFL史上4番目に長い記録となる108試合連続先発出場を達成した。第16週ではマイアミ・ドルフィンズを28-7で破りレギュラーシーズン全勝に王手をかけた。ブレイディのこの日3つ目のTDパスはチーム全体でシーズン71個目のTDとなり、1984年シーズンにドルフィンズが記録した70TDのNFL記録を塗り替えた[40]。第17週はレギュラーシーズン全勝をかけてニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。第2QにブレイディからモスへのTDパスが決まりモスはジェリー・ライスの持つシーズン最多TDレシーブ22に、ブレイディはペイトン・マニングの持つシーズン最多TDパス49に並んだが、直後のリターンでTDを奪われるなど一時は12点のリードを許す苦しい展開となる。しかし第4Qにブレイディがモスに65ヤードのTDパスを通し逆転し、トム・ブレイディがシーズン最多50TDパス、そしてランディ・モスがシーズン最多23TDレシーブを同じプレーで達成する快挙を成し遂げた。その後は逃げ切って38-35で勝利をおさめ、シーズンが16試合制になってから初のレギュラーシーズン全勝を達成した[41]。
プレーオフ
初戦のディビジョナル・プレーオフではジャクソンビル・ジャガーズと対戦し、ブレイディはポストシーズンのNFL記録となるパス16回連続成功を果たすなど28回中26回成功263ヤード3TDパスの活躍を見せ、31-20で勝利をおさめた。1試合でのパス成功率92.9%はNFL記録となった[42]。AFCチャンピオンシップゲームではブレイディが3INTを喫するもディフェンスが奮闘しTDを許さず、21-12でサンディエゴ・チャージャーズに勝利した。ペイトリオッツは1972年にマイアミ・ドルフィンズが成し遂げたシーズン17連勝(当時レギュラーシーズンは14試合制)を塗り替えるシーズン18連勝を達成し、7シーズンで4度目のスーパーボウル出場を果たした。この勝利でブレイディはスターターQBとして(プレーオフを含む)NFL史上最速でキャリア100勝目をあげた(通算100勝26敗)。これはそれまでNFL最速であったジョー・モンタナの記録(100勝42敗)よりも16試合はやい達成となった[43]。
1972年シーズンのマイアミ・ドルフィンズが達成して以来のパーフェクトシーズンが期待される中、2月3日の第42回スーパーボウルを迎えた。対するニューヨーク・ジャイアンツはシーズン最終週でペイトリオッツに敗れて以降調子をあげ、敵地でダラス・カウボーイズ、グリーンベイ・パッカーズを破りワイルドカードから見事スーパーボウル進出を達成した。試合はペイトリオッツ優位と見られていたがブレイディは5つのサックを浴びるなどジャイアンツの激しいパスラッシュにオフェンスを抑えられ試合は予想外のロースコアゲームとなった。それでも第4Q残り2分45秒でモスへのTDパスを決め14-10と逆転したが、最後はイーライ・マニングがデイビッド・タイリーのスーパーキャッチを経てウイニングドライブを決め14-17で敗退した[44]。
個人タイトル
ブレイディはパス獲得ヤード、TDパス、QBレイティングでリーグトップの成績をおさめた。またNFL史上5位(現在は7位)のパス成功398回、NFL史上3位(現在は4位)のパス4,859ヤード、NFL史上7位(現在は8位)のパス成功率68.9%、NFL新記録となる50TDパス、NFL史上2位のQBレイティング117.2、さらにはINTわずか8と自己最高の成績でプロボウルとオールプロのファーストチームに選出され、FedEx Expressの選ぶNFL週間最優秀選手に4回(第6、7、11、17週)、AFC週間最優秀攻撃選手に5回(第3、6、7、14、17週)、AFC月間最優秀攻撃選手に2回(9月と10月)、さらに50票中35.5票を獲得して[45]最優秀攻撃選手賞、そして50票中49票を獲得して[46]リーグMVPに輝くなど多くの個人タイトルを受賞した。
2008年シーズン
右足の状態が思わしくなくプレシーズンを全休した[47] 。そして開幕戦のカンザスシティ・チーフス戦でセイフティ(S)バーナード・ポラードから膝にタックルを受け負傷退場しシーズン絶望となった。このときのプレーは2009年シーズンから通称ブレイディルールとして禁止されている[48]。この怪我で連続先発試合出場記録は111で途切れた。ブレイディを欠いたペイトリオッツは序盤に苦戦するがその後QBマット・キャッセルの活躍もあって立て直し、シーズン11勝5敗と善戦するも惜しくもプレーオフ進出を逃した。
2009年シーズン
当初は膝の感染症にかかるなど[49]開幕に間に合うか心配されたがその後順調に回復し、第1週のバッファロー・ビルズ戦で1年ぶりに公式戦復帰を果たした。試合は第4Q終番で11点のビハインドを許し敗色濃厚だったが、第4Q残り2分10秒からブレイディが2つのTDパスを決め逆転し25-24で見事復帰戦を飾った。その後はブランクもあってか苦戦が続き、第2週のニューヨーク・ジェッツ戦では相手ディフェンスの激しいパスラッシュに苦しみTDなしに封じ込められ16-9で敗れた。第5週のデンバー・ブロンコス戦では20-17とキャリア初のオーバータイムでの敗北を喫するなど(無敗での通算7勝はNFL記録[50])スタートで3勝2敗となった。しかし第6週のテネシー・タイタンズ戦では6TDパスQBレイティング152.8を記録し、1976年以来の大差となる59-0で勝利した[51] 。この試合で記録した1Q間での5TDパスはNFL記録となった[52]。なお第3週のアトランタ・ファルコンズ戦で節目となるキャリア200個目のTDパスを決めた[53]。116試合目(途中出場を含む)での200TD達成はNFL史上4番目に早い記録となった[54]。
その後ブレイディは調子をあげていき、右手の薬指と3本の肋骨の骨折を抱えながらも[55]4,398ヤード28TD、QBレイティング96.2とキャリアで2番目に良い成績をおさめ5度目のプロボウル選出を果たし、カムバック賞を受賞した[56]。しかしながらチームは10勝6敗とキャリアで2番目に悪い成績に終わり、リーグトップのパスレシーブ回数を記録していたWRウェルカーを怪我で欠いたワイルドカード・プレーオフではホームでボルチモア・レイブンズに敗れシーズンを終えた。ブレイディはキャリア初のプレーオフ初戦敗退とプレーオフでのホーム敗戦を味わった。
このシーズンはテディ・ブルースキーやロドニー・ハリソンなど王朝時代を支えた多くのベテラン選手が引退やトレードなどでチームを去ったこともあり、ペイトリオッツは第4Qでの逆転負けを4度も許すなど勝負強さに欠いた。ブレイディは通したパスの約55.5%がモスとウェルカーの両エースWRに偏っており、特にウェルカーには約33%と大きく依存していた。(レシーバー不足だった2006年は最も高い選手で約18.7%で2007年は約28%)一方サックは16回とキャリアで最も少なかった[57]。ブレイディは多くのベテラン選手が去ったことについて「彼らは特別な選手であり、特別な人物だった。ペイトリオッツのユニフォームを着れば、ペイトリオッツらしいチームプレイができる訳じゃない。コーチ、選手たちが一体となって同じゴールを目指し、努力しているからこそだ。彼らのような選手を失うことは、大きな喪失だった。」と話し[58]、 このシーズンの敗因としてチームとしての自信や信頼、メンタル的な強さの欠如をあげた[59][60]。
2010年シーズン
開幕前
このシーズンが2005年にチームと結んだ6年6000万ドルという契約の最終年だったため[61][62]、新契約やシーズン終了後の去就をめぐる様々な憶測がメディアを賑わせた[63][64]。シーズン開幕が間近に迫った現地9月9日に2011年シーズンから2014年シーズンまでの4年総額7200万ドル、一年あたりの平均年俸はNFL史上最高額の1800万ドルという大型契約を結んだ[65][66]。またその直後、自動車の運転中に交通事故に遭うが[67]、幸い怪我はなくすぐに練習に復帰した。
レギュラーシーズン
開幕戦ではシンシナティ・ベンガルズと対戦し3TDパスを含むQBレイティング120.9の活躍を見せチームの勝利に貢献した。この勝利でブレイディは開幕戦の通算成績を8勝1敗とし、これは1970年以降のQBではロジャー・ストーバックの8勝0敗に次ぐ記録となった[68]。38-30で勝利した第3週のバッファロー・ビルズ戦では3TDパスQBレイティング142.6を活躍をみせキャリア通算のTDパスを233とし、殿堂入りQBのスティーブ・ヤングを抜いて歴代19位となった[69]。2勝1敗で迎えた第4週のマンデーナイト・フットボールではパス153ヤード1TDにとどまるも、ディフェンスやスペシャルチームの活躍もあり41-14でマイアミ・ドルフィンズに勝利した。この勝利でブレイディは通算成績を100勝31敗とし、NFL史上11人目となるレギュラーシーズン100勝を達成した[70]。また131試合での100勝達成はそれまでの記録であったジョー・モンタナの139試合を抜いてNFL史上最速記録となった[70]。翌週はバイウィークであったがチームはシーズン終了後の去就が注目されていたWRランディー・モスをミネソタ・バイキングスへとトレードし、数日後にかつてペイトリオッツで2度のスーパーボウル制覇に貢献したディオン・ブランチをトレードで獲得した[71]。迎えた第6週では昨シーズンのプレーオフで完敗したボルチモア・レイブンズと対戦した。試合は第4Qでレイブンズに10点のリードを許す苦しい展開となるも、再加入後初となるブランチへのTDパスを決めるなどして同点に追いつき、レイブンズの攻撃から始まったオーバータイムでは両チームあわせて5回のパントを経たのち最後はKスティーブン・ゴストコウスキのFGが決まり23-20で逆転勝利をおさめた。この試合でブレイディはオーバータイムでの成績を通算8勝1敗とし、またキャリア通算のウイニングドライブ数を30回とした[72]。
その後2連勝を果たすも第9週でクリーブランド・ブラウンズに敗れ6勝2敗となったが、ここからブレイディとペイトリオッツは快進撃を始める。第10週では同じく6勝2敗のピッツバーグ・スティラーズと敵地ハインツ・フィールドで対戦し、ブレイディは新人TEロブ・グロンコウスキーへ3つのTDパスを決めるなどパス350ヤードQBレイティング117.4の活躍を見せ、チームは39-26で前評判を覆す完勝をおさめた[73]。第10週ではライバルのインディアナポリス・コルツと対戦し、ブレイディは2TDパスを通すなどして第4Qまで31-14と試合を優位に進めると、最後はディフェンスがこの試合3つ目のINTを奪ってコルツの猛追を振り切り31-28で勝利をおさめた。この勝利でブレイディはレギュラーシーズンでのホームゲーム連勝記録を25とし、1995年シーズンから1998年シーズンにかけてブレット・ファーヴが樹立したNFL記録に並んだ[74]。第11週では伝統の感謝祭ゲームでデトロイト・ライオンズを45-24で破り、ブレイディはパス27回中21回成功341ヤード4TDという成績でキャリア2度目となるQBレイティング満点の158.3を記録した。これでブレイディはキャリアでQBレイティング満点を複数回記録したNFL史上6人目の選手となった[75]。試合後にライオンズのセンター(C)ドミニク・ライオーラはブレイディを「まるで外科医のようだ。」と評した[76]。
第12週ではペイトリオッツと共に9勝2敗で並んでいたニューヨーク・ジェッツと対戦した。チームは第2週に敵地での同カードで敗れており、地区首位をかけた重要な一戦であったことや共にAFC最高勝率を収めていたことなどからジェッツのHCレックス・ライアン自ら「今季最高のゲームになるだろう。」と話していたが[77]、ペイトリオッツは序盤からジェッツを圧倒し45-3の完勝をおさめた。ディフェンスがジェッツのQBマーク・サンチェスから3つのINTを奪うなどしてジェッツをTDなしに封じたほか、ブレイディはパス29回中21回成功326ヤード4TD(QBレイティング148.9)の活躍を見せた。この試合でブレイディはレギュラーシーズンでのホームゲーム連勝記録を26としNFL新記録を樹立したほか、NFL史上13人目となるキャリア通算250TDパスを記録した[78]。第13週ではシカゴ・ベアーズと対戦し、ブレイディは強風と豪雪の中パス369ヤード2TDの活躍を見せチームは36-7で完勝をおさめプレーオフ進出を決めた[79]。続く第14週のグリーンベイ・パッカーズ戦でも勝利をおさめ、ブレイディは7試合連続で2TD(もしくはそれ以上)インターセプトなしというNFL新記録を樹立した[80]。また自身キャリア二度目となるシーズン30TDパスを達成した。34-3で勝利した第16週のバッファロー・ビルズ戦でもブレイディは3TDパス0INTをマークし自身の記録を8試合連続に更新したほか、第6週のレイブンズ戦で喫して以来パス319回連続インターセプトなしというNFL新記録を樹立した[81]。この勝利でペイトリオッツは2年連続となる地区優勝と2007年シーズン以来となるプレーオフ第1シード獲得を決めた。ブレイディはシーズン最終週のマイアミ・ドルフィンズ戦でも2TDパス0INTを記録しチームも38-7で勝利した。ブレイディはシーズンが16試合制となって以降シーズン全試合で最低1TDパスをマークしたNFL史上6人目のQBとなった[82]。ペイトリオッツはホームゲーム8戦全勝、最後は8連勝を達成しリーグトップの14勝2敗でレギュラーシーズンを終えた。
プレーオフ
AFC第1シードのペイトリオッツはディビジョナル・プレーオフで、ワイルドカードからインディアナポリス・コルツを接戦で破って勝ち上がってきたニューヨーク・ジェッツと対戦した。第12週で大勝していたこともあり試合はペイトリオッツ有利と見られていたが、第1Qのペイトリオッツ最初のドライブでブレイディがレギュラーシーズンと合わせて実に340投ぶりのINTを喫してしまう。その後も5つのサックを浴びるなどジェッツディフェンスに苦しめられ、28-21で2シーズン連続となるプレーオフ初戦敗退を喫した[83]。
成績と記録
ブレイディはパス3,900ヤード36TD(4INT)、NFL史上5位となるQBレイティング111.0という成績でレギュラーシーズンを終えた。パス36TD、QBレイティング111.0はリーグトップの成績となった。ブレイディは異なる2つのシーズンで通算QBレイティング110以上を記録したNFL史上初の選手となった[84]。またこのシーズンのINT率0.8%(パス492回中4INT)は NFL史上最も低い数字となったほか[85]、TDパスとINTの比9:1(36TD 4INT)という成績は自身が2007年シーズンに記録した6.25:1(50TD 8INT)を大幅に塗り替えるNFL記録となった[86]。なおシーズンでのTDとINTの比が6:1を上回る成績を記録したプレイヤーはNFL史上ブレイディただ一人である[86]。
ブレイディはファン投票でリーグ最多の187万7089票を集め2年連続6回目となるプロボウル選出を果たした[87]。なおスターターとしての選出は2007年シーズン以来自身2度目である。
これらの活躍が評価され、ブレイディは50票中21票を獲得しNFL最優秀攻撃選手に[88]、史上初となる満票でのシーズンMVPに選出された[89][90]。また自身3度目となるオールプロにも満票で選出された[91]。
特徴
選手としての特徴
試合では天気や時間帯に関係なく必ず目の下に黒いペイントをしている。スナップを受けてからパスを投げるまで体を上下に小刻みに動かしてリズムをとるのが特徴的で、2010年3月にはトレーニングの一環としてボクシングを取り入れ話題となった[92]。チャーリー・ワイスOC時代はRBのランとプレー・アクション・パスを多用し(New England Patriots strategy)、2007年シーズンはジョシュ・マクダニエルズOCのもとでスプレッド・オフェンスを展開した。実質の1年目である2001年はサックされることも多かったが、相手ディフェンスのプレッシャーを巧みなステップで避けることができブリッツへの対応も優れている[93][94]。近年は特にショットガン体型からのパスやプレー・アクション・パスを得意としており、2010年シーズンはプレー・アクションからのパスで12TDでINTなし、パス成功率70.7%、QBレイティング136.5という驚異的な数字を残した[95]。ポケット・パサーの中でも足はかなり遅い方であり、コンバインでの40ヤード走のタイムは5秒28である[5][96]。
またキャリアで32回のゲーム・ウイニングパフォーマンスを決めるなど2ミニッツ・オフェンスを得意としており[97]、加えてオーバータイムではNFL記録となる7連勝を果たすなど通算8勝1敗、プレーオフではNFL記録となる10連勝を達成するなど通算14勝4敗、さらにスーパーボウルを含むポストシーズン6試合でウイニングドライブを決め、4度のスーパーボウル出場と3度の制覇、そして2度スーパーボウルMVPを獲得するなど難しい局面や大舞台での活躍には特筆すべきものがあり、しばしばNFL史上もっとも勝負強いQBの一人としてあげられる[98][99][100]。
性格
ブレイディはしばしば自身のことを「感情的な人間だ。」と表現している[101]。時には試合中に感情を大きく表現することがあり、それが元で他チームの選手と揉めたり口撃されることもある[102][103]。チームに近いメディア関係者やチームメイトはブレイディのことを「非常に負けず嫌いである」と語っている[104]。また同僚のLTマット・ライトによれば、ブレイディはいたずら好きでいじめっ子なところがあるらしい[104]。
特筆
2001年シーズンにスターターQBに定着して以降、全てのシーズンで勝ち越している。また怪我で開幕戦以降を欠場した2008年シーズンを除けばキャリア9シーズン中8シーズンでプレーオフに進出し、うち6シーズンでプレーオフに最低1試合は勝利し、うち4シーズンでスーパーボウルに進出している。またスターターに定着した2001年シーズンの2,843ヤード18TD(12INT)を最後に[105]毎シーズン3,000ヤード20TD、TDとINTの差10以上を記録している。(怪我で開幕戦以降を欠場した2008年シーズンを除く)
ブレイディはNFLがスーパーボウル時代(1966年以降)に突入して以降、最も高い勝率を記録しているQBである[18]。なおそれ以前を含めると最も高い勝率を記録しているQBは1946年から1955年にクリーブランド・ブラウンズで活躍したオットー・グレアム(キャリアでの勝率が80%に達しているNFL史上唯一のQB。通算57勝13敗1分け。)のみである。またブレイディはNFL史上最も被インターセプトが少ないQBの一人である。2010年シーズン終了時でのブレイディのINT率(全INT数を全パス試投数で割ったもの)は2.2%であり[106]、ブレイディよりもTDパス(キャリア通算)が多い選手でブレイディよりもINT率が低い選手はいない。またブレイディのTD数とINT数の比は2.27であり、これはパス試投2,000回以上のQBでは歴代最高の数字である[18]。さらにキャリア初INTを記録するまでに投じたパス162本もNFL記録である[18]。
ブレイディは12月に行われた試合で通算33勝5敗と好成績をあげている。またNFCのチームには通算31勝6敗と非常に得意としている。(いずれもレギュラーシーズンのみ)
ライバル
ペイトン・マニング
NFL史上最高のQBの一人として評価を受けるインディアナポリス・コルツのQBペイトン・マニング(現在はデンバー・ブロンコス所属)とのライバル関係は2000年代のNFLの盛り上げに大役を買った[107]。両者は連勝記録やシーズンTDパス記録などのNFL記録を塗り替えあい、プレーオフでも3度対戦している。そして勝ったチームは3度ともスーパーボウルチャンピオンに輝いている。なお両者の通算対戦成績はブレイディの8勝4敗である。
2009年11月にジョー・モンタナなど20人の殿堂入りQBを対象に「もし自分のチームのQBにブレイディとマニングのどちらかを選ぶとすれば、どちらを選択するか」というアンケートが行われた[108]。20人全員がブレイディとマニングの双方を称賛し回答には苦心したが[108]、ブレイディに2.5票、マニングに13.5票という結果が出た。(スティーブ・ヤング、ダン・マリーノ、ロジャー・ストーバック、バート・スターの4人は優劣をつけなかった。)0.5票はモンタナの評価で「前半はブレイディ、後半はマニング」と評した[108]。ジム・ケリーも当初はモンタナと同じ考えであったが、最終的にはごくわずかの差でマニングとしている。理由を「今シーズン(2009年シーズン)が始まる前であればブレイディだったが、現在彼は大きな怪我から復活しているところである。」とし、またマニングのプレースタイルや勤勉な姿勢などを評価した為だとしている[108]。ウォーレン・ムーンも2年前ならブレイディを選んだかもしれないが膝の怪我のため今はマニングであるとし、マニングの周りのタレントを高いレベルへ導く力を評価した[108]。トロイ・エイクマンはペイトリオッツがブレイディを欠いても11勝をあげた2008年シーズンのことを引き合いに出し、3人のHCのもとでプレーしたマニングに比べればブレイディの成功はHCベリチックによるところが大きいとした[108]。フラン・ターケントンは「もし誰かが私の頭に銃を突きつけて回答を迫ったら、私はマニングと答える。」とし(ボブ・グリーシーも似たような表現で回答した。)ブレイディはより優れたチームに在籍しており周りに恵まれていた、との見解を示した[108]。ソニー・ジャーゲンセンは長い葛藤の末マニングだとしたが、2007年シーズンのブレイディのパフォーマンスは「あんなに素晴らしいプレーをしたQBは今まで見たことのない」と称賛した[108]。
ブレイディに票を投じたのは4度のスーパーボウルを制覇したテリー・ブラッドショーと5度スーパーボウルに出場し2回制覇しているジョン・エルウェイで、ともにブレイディのチャンピオンとしての実績を評価してのものであった[108]。ブラッドショーは「素晴らしいスタッツは大切だが、最も大切なのは勝利だ。勝利は全ての人が覚えている。」と話し、エルウェイは「ブレイディはビッグゲームの中、よりタフなシチュエーションでカムバックを成し遂げた。それに彼は3つのリングを持っているがマニングは1つだ。ブレイディはビッグゲームで素晴らしいプレーをし、そういった試合での実績もある。」としてブレイディを評価した[108]。優劣をつけなかった4人のうちの一人であるスティーブ・ヤングは、このような問いに答えることは失礼だとし「どうやってレンブラントとファン・ゴッホのどちらかを選ぶことができるんだ。」と話した。また「私はQBは芸術家だと信じており、同じ世代にこのような2人がいることはとても珍しいことだ。」と語った[108]。ダン・マリーノは「どちらのQBも双方を超えて選ばれるに値している。二人とも殿堂入りQBだ。」とし、ストーバックは「イーブンだ。2人ともNFL史上最高級のQBで、どのチームもQBは2人必要だよ!」と語り、また二人の能力やリーダーシップを高く評価した[108]。
2000年代に入ってから多くの名勝負を繰り広げてきたペイトリオッツとコルツ、そしてブレイディとマニングはNFL史上に残るライバル関係として評価されている[109][110][111]。
AFC東地区
ペイトリオッツと同じくAFC東地区に所属するニューヨーク・ジェッツとはニューヨークとボストンという都市的なライバル関係もあり長年競い合ってきた。近年はHC就任に関しての騒動やHC同士の不仲説、2009年シーズンからジェッツのHCに就任したレックス・ライアンによる挑発的発言などもあり[112]、より一層激しいライバル関係にある。ブレイディ自身はジェッツに対して14勝5敗と大きく勝ち越しているが、ライアンHC就任以後はプレーオフで敗戦を喫するなど2勝3敗と苦戦している。また自身が出演したスニッカーズのCMはジェッツとニューヨークを皮肉る内容(もちろんジョーク)になっている。さらに2010年8月には"I hate the Jets"「ジェッツは嫌いだ」と明言した[113]。同じく同地区のバッファロー・ビルズには通算17勝1敗で4,105ヤード39TD(QBレイティング103.0)の成績をあげるなど非常に得意としており、2003年の開幕戦でキャリア初の完封負けを喫して以来2010年シーズン現在まで13連勝をあげている。一方で同じく同地区のマイアミ・ドルフィンズにはアウェーゲームで3勝5敗と苦手にしている。それでも通算成績は12勝6敗で、ブレイディは同地区のチームとの対戦で45勝12敗と大きく勝ち越している。(2001年まで同地区だったコルツとの2試合を含む。なお2試合ともペイトリオッツが勝利している。)
デンバー・ブロンコス
デンバー・ブロンコスはブレイディが通算1勝6敗と最も苦手としている相手である。またブロンコスのホームスタジアム、マイル・ハイでは自身初のプレーオフ敗北や同じく自身初のオーバータイムでの敗戦を喫するなど通算1勝4敗と大きく負け越している。唯一の勝利は2003年シーズン第9週のマンデーナイトフットボールで、このときは残り36秒でWRデイビット・ギブンズにTDパスを通し30-26で見事な逆転勝利をおさめている[114]。
評価
フットボール選手として
2010年にNFLネットワークで放送、発表された「最も偉大な100人のNFLプレーヤー」"The Top 100: NFL's Greatest Players"にて第21位に選出された[115]。発表時の現役選手としては第20位のブレット・ファーブに次いで4番目に高い順位で、歴代QBとしては7番目に高い順位であった。プレゼンターはMLBニューヨーク・ヤンキースのキャプテンで5度のワールドシリーズ制覇の経験を持つデレク・ジーターが務め、「勝者、チャンピオン、それは彼の名前を耳にしたときに真っ先に思い浮かぶことだ。」と話し、ブレイディの勝者としてのメンタリティを高く評価した[116]。
2011年には同じくNFLネットワークが、2011年現在で現役最高のフットボール選手は誰かを問う"NFL Top 100 Players of 2011"を発表し、現役選手達による投票の結果ブレイディはペイトン・マニングを抑え第1位に選出された[117]。プレゼンターはボルチモア・レイブンズのLBレイ・ルイスとニューヨーク・ジェッツのCBダレル・リーヴィスが務め、ルイスは「トム・ブレイディがナンバー1。全くもって異論はないよ。」と話し、ブレイディの情熱やフットボールの知識を高く評価した。またリービスは「彼は勝者だ。だから選手たちはブレイディに投票したんだと思う。強いハートを持ち、負けず嫌いだ。年に2回彼と対戦するが、彼の目にはいつも勝利への執念が宿っているよ。彼は戦士だ。」と語り、またブレイディのパサーとしての高い技術を称賛した[118]。
スポーツ・イラストレイテッドが発表した"Best NFL Player by Jersey Number"ではテリー・ブラッドショー、ジョー・ネイマス、ジム・ケリー、ケン・ステイブラー、ロジャー・ストーバックなど数多くの殿堂入り選手を抑えて「最高の背番号12」に選ばれた[119]。NFLトップ10では「トップ10ドラフト・スティール」で第1位に選出され[5]、「トップ10クラッチQB」では現役選手では最高位となる第3位に選ばれた[98]。
2000年代での活躍への評価
2009年の12月にAP通信が発表した「アスリート・オブ・ザ・ディケイド」では、ゴルフのタイガー・ウッズやテニスのロジャー・フェデラーなど個人スポーツの選手に多くの票が集まるなか、北米4大プロスポーツリーグの選手としては最多得票となる6票を獲得して第4位に選ばれた[120]。また2009年12月にスポーツ・イラストレイテッドが発表した「2000年代男性アスリート トップ20」でも4大スポーツリーグの選手としては最高位の6位に選出された[121]。
2010年にNFL殿堂からNFL 2000年代オール・ディケイド・チームのファーストチームに選ばれた[2]。またUSA TODAYのNFLオール・ディケイド・チームにも僅差でマニングを退け選出されている[122][123]。スポーツ・イラストレイテッドのピーター・キングはNFLオール・ディケイド・チームのQB、プレイヤー・オブ・ザ・ディケイドの双方にマニングを選出したが[124][125]、「非常に難しい選択で、ブレイディとマニング双方が選出されるにふさわしい。」と記した[124]。同氏は「00年代最高のライバル」においてチーム部門ではコルツとペイトリオッツを、個人部門ではブレイディとマニングを選出し、また「00年代最高のドラフト・スティール」にはブレイディをあげた[126]。NFLネットワークは"Top 10 players of the decade"でブレイディを第1位に選出した[127]。NFLフィルムズは"Players of the decade"でブレイディとマニングの両QBを高く評価し、「もしかしたら、NFL史上最高の2人かもしれない。」と評した[107]。スポーツ・イラストレイテッドのジェイ・クレモンズは「2000年代トップ10パフォーマンス」で2007年度のブレイディを第1位に選出した[128]。同じくスポーツ・イラストレイテッドのドン・バンクスは「00年代最高のドラフト・スティール」にブレイディを選出し、「おそらく全ての年代を考慮しても彼がナンバー1だろう」と評価した[129]。
フットボール以外での活動
長らくナイキと契約していたが2010年にアンダーアーマーと契約し、同社への投資やCM出演など、広告塔の一人として活動している[130]。なお契約金額やブレイディがどれほどの経営権を得たかなどの詳細は明らかになっていない[130]。また同年にUGGオーストラリアのメンズブーツの製品開発アドバイザー兼広告塔としても契約し、2011年の秋モデルから本格的に活動を始めている[131][132][133]。
端正なルックスでも人気を誇り、ファッション誌などの表紙を飾ることもある[134][135]。2002年にはPeople誌から「世界で最も美しい50人」"50 Most Beautiful People"の一人に選出された[6][136]。USA TODAYからは「最も紳士的な服装が似合う男性」に選ばれており[137]、また何度か表紙を飾ったこともあるGQ誌からは「世界で最もスタイリッシュな男性25人」に選ばれている[138]。なおこれにはイチローも選出されている。フォーブス誌の「世界のセレブリティ・ランキング トップ100」にもたびたび選ばれている(妻のジゼル・ブンチェンも選ばれている)[139]。またブンチェンとブレイディはアメリカで最もホットなカップルのうち一組と言われている[140]。2011年にはフォーブス誌が、ブレイディとブンチェンはジェイ・Zとビヨンセ、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーらを抑え、世界で最も裕福なセレブリティ・カップルであると報じた。二人の収入は2010年度で計7500万ドルだったとされている[141]。
過去にはStetsonの男性用コロンのCMに出演していたほか[142]、ドラマにもゲストとして出演しており、2009年にはアントラージュ★オレたちのハリウッドで本人役を演じた[143]。映画『ふたりにクギづけ』ではコノユータ・オタク役でカメオ出演し[6]、アニメ『ザ・シンプソンズ』にも本人役で出演したことがある[144]。
2004年1月にはジョージ・W・ブッシュ大統領の一般教書演説に招待された[6]。なおブレイディは自分の政治的意見を公にすることを拒否している[145]。
私生活
ブレイディはNFLのスーパースターとなってからハリウッド女優のブリジット・モイナハンと2004年から2006年までの3年間にわたり恋人関係を続けたが2006年12月に2人は別れた[146]。モイナハンは翌年2月に妊娠したことを明かし[147]、8月にブレイディとの間にできた男の子(John"Jack" Edward Tomas)[148][149]を出産した[150]。一方ブレイディはスーパーモデルのジゼル・ブンチェンと交際を続け、2009年2月に挙式した[151]。同年12月9日には男児(ブレイディにとって2人目の子供でジゼルは初産)が誕生し[152] 、ベンジャミン(Benjamin Rein Brady) と名付けられた[153]。2009年4月5日にコスタリカでブンチェンとの2度目の挙式を行った際、ガードマンが2人のパパラッチに発砲するという事件が起こった[154][155] 。怪我人は出なかったが、2人のパパラッチはブレイディとブンチェンに100万ドルの損害賠償を請求している[156]。
現在、ロサンジェルスのブレントウッドに、2000万ドル、20か月をかけて建てた豪邸に家族と住んでいる[157]。
末っ子であり、姉が3人いる[158]、2012年にその1人のジュリーが野球選手のケビン・ユーキリスと結婚している[159]。
ニューヨーク・ヤンキースのアレックス・ロドリゲスとは友人関係にあり、ブレイディがヤンキースの帽子をかぶったことでボストンを騒がせたこともある[160]。またサッカー選手のデイビッド・ベッカムとも親交がある[161]。
主な記録
NFL記録
勝利記録
- 史上最速100勝達成(レギュラーシーズンのみ):131試合
- ポストシーズン連勝記録:10試合(2001年シーズン,2003年シーズン,2004年シーズン,2005年シーズン、ワイルドカード・プレーオフ)
- 連勝記録(ポストシーズンを含む):21試合(2003年シーズン第5週から2004年シーズン第6週まで)
- ホームゲーム連勝記録(レギュラーシーズンのみ):28試合(2006年シーズン途中から現在-)
TD記録
- レギュラーシーズン最多TDパス:50(2007年シーズン)(2013年シーズン Week16時点で抜かれた)
- シーズン最多TDパス:56(2007年シーズン)
- TDとINTの差:42(2007年シーズン)
- TDとINTの比:9:1(2010年シーズン)
- 連続3TDパス以上:10試合(2007年シーズン)
- 1シーズン間に3TD以上を記録した試合数:12試合(2007年シーズン)
- 月間最多TDパス:20(2007年9月)
- 1Q間での最多TDパス:5(2009年シーズン-テネシー・タイタンズ戦)
- 2TD以上0INT連続記録:9試合(2009年シーズン途中から現在-)
試合
- 最高パス成功率:92.9%(2007年シーズン-プレーオフ、ジャクソンビル・ジャガーズ戦)
インターセプト
- キャリア初INTを記録するまでに投げたパス:162回
- 連続0インターセプト記録:パス試投335回
- INT率:0.81(パス492回中4INT, 2010年シーズン)※パス試投250回以上が条件
スーパーボウル
- 最多パス成功記録:32(第38回)
- 通算パス成功数:100(第36回,第38回,第39回,第42回)
- 最年少スーパーボウル3度制覇QB
自己ベスト
シーズン記録
- QBレイティング:117.2(2007年シーズン)
- パッシングヤード:4,806(2007年シーズン)
- TDパス:50(2007年シーズン)
- 最少INT:4(2010年シーズン)※2試合以上に先発出場したシーズンで
試合
- QBレイティング:158.3、パーフェクト・パサー・レイティング(2007年シーズン-マイアミ・ドルフィンズ戦、2010年シーズン-デトロイト・ライオンズ戦)
- パッシングヤード:410(2002年シーズン-カンザスシティ・チーフス戦)
- TDパス:6(2007年シーズン-マイアミ・ドルフィンズ戦、2009年シーズン-テネシー・タイタンズ戦)
通算成績
- レギュラーシーズン111勝32敗(勝率.776)
- プレーオフ14勝4敗(勝率.777)
- 通算125勝36敗(勝率.776)
脚注
関連項目
外部リンク
- テンプレート:Imdb name
- Top Ten Clutch QBs: Tom Brady (NFL.com)
- Top Ten Draft Steals QBs: Tom Brady(NFL.com)
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- ↑ なお2001年シーズンはシーズン16試合中15試合の出場、14試合の先発での成績である
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- ↑ 107.0 107.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 108.00 108.01 108.02 108.03 108.04 108.05 108.06 108.07 108.08 108.09 108.10 108.11 テンプレート:Cite web
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