尚宣威王
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テンプレート:参照方法 テンプレート:基礎情報 君主 尚宣威王(しょうせんいおう、1430年(宣徳5年) - 1477年(成化13年))は、琉球王国第二尚氏王統の第2代国王(在位1477年)。第二尚氏王統初代国王尚円の弟。神号は西之世主(にしのよのぬし)、諡(おくりな)は義忠。
概要
5歳(数え年)の時、父母を失い、その後は兄・金丸(のちの尚円)によって養育された。9歳のとき、兄に付き従って、首里に移り住む。1453年(景泰4年)、家来赤頭に昇格、1463年(天順7年)、黄冠を賜った。兄・尚円即位後は、越来(現・沖縄市付近)を領地として、越来王子と称した。
尚円王が1476年(成化12年)に薨去すると、翌年、世子・尚真がまだ幼いということもあって群臣の推挙により即位した。しかし、その年の2月、陽神キミテズリが出現して、その神託によってわずか半年で退位した。神託は尚真王の母が仕組んだものという説もある。
退位後、越来に隠遁し程なく薨去した。越来の地は、息子の朝理(長男、向氏湧川殿内一世)、朝易(次男、湧川殿内二世)の領地となった。
家族
- 父・尚稷
- 母・瑞雲
- 妃・不詳
- 子女