孝武帝 (南朝宋)
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テンプレート:基礎情報 中国君主 孝武帝(こうぶてい)は、南朝宋の第4代皇帝。姓は劉、名は駿。字は休龍、小字は道民。
生涯
430年8月、文帝(劉義隆)の三男として生まれた。436年9月、武陵王に封じられた。439年、都督湘州諸軍事・征虜将軍・湘州刺史となった。440年、使持節・都督南豫豫司雍并五州諸軍事・南豫州刺史に転じた。444年、撫軍将軍の号を受けた。445年、寧蛮校尉・雍州刺史に転じた。448年、安北将軍・徐州刺史に任じられ、彭城に駐屯した。450年、汝陽の敗戦の罪に連座して鎮軍将軍に降格された。451年2月、北魏の侵入を許した罪で、北中郎将に降格された。3月、南兗州刺史となり、山陽に駐屯した。6月、南中郎将・江州刺史に転じた。
453年1月、長兄にあたる皇太子劉劭が文帝を殺害すると、劉駿は兄を討つべく江州で起兵した。4月、新亭に進軍して、皇帝に即位した。5月、建康を陥落させ、劉劭を殺害した。
在位中、中央集権を推し進め、側近に寒門を登用するなどの政策を行う一方で、兄の一族を殺害する暴虐さとともに奢侈を好む一面もあった。そのため、財源確保のために租税を厳しくするなど、宋の衰退の端緒となった。
464年閏5月、玉燭殿で死去した。
妻子
后妃
子
- 劉子業
- 豫章王劉子尚
- 晋安王劉子勛
- 安陸王劉子綏
- 劉子深(早逝)
- 尋陽王劉子房
- 臨海王劉子頊
- 始平孝敬王劉子鸞
- 永嘉王劉子仁
- 劉子鳳(早逝)
- 始安王劉子真
- 劉子玄(早逝)
- 邵陵王劉子元
- 斉敬王劉子羽(早逝)
- 劉子衡(早逝)
- 淮南王劉子孟
- 劉子況(早逝)
- 南平王劉子産
- 晋陵孝王劉子雲(早逝)
- 劉子文(早逝)
- 廬陵王劉子輿
- 南海哀王劉子師
- 淮陽思王劉子霄
- 劉子雍(早逝)
- 劉子趨
- 劉子期
- 東平王劉子嗣
- 劉子悦
女
- 山陰公主劉楚玉
- 安固公主
- 臨汝公主
- 安吉公主
- 臨淮公主劉楚珮
- 皇女劉楚琇
- 康楽公主劉修明
- 県公主
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