フスハー
テンプレート:Infobox Language フスハー(اللغة العربية الفصحى al-luġatu l-ʿarabiyyatu l-fuṣḥā, 「純正なアラビア語」)とは、標準アラビア語(Standard Arabic)を指す。日本では正則アラビア語(せいそく-ご)と呼ぶこともある。具体的に指している言語は、古典アラビア語と、現代の書き言葉であるが、この2つは一般には同一視されており、区別なくアル・フスハーと呼ばれる。文語として文学・共通語に使われる、アラビア語の下位言語であり、口語としてはもはや使用されていない。ゆえに一般的な言語学の定義からすれば、ラテン語、サンスクリット語、かつてのヘブライ語同様、死語である。
西欧の研究者は多くフスハーを大まかに二つにわけて考える。啓典『クルアーン』と7-9世紀の初期イスラームアラビア文学の古典アラビア語(古典北アラビア語)と、現代において共通語として用いられる現代標準アラビア語(Modern Standard Arabic)とである。現代標準アラビア語は古典アラビア語に深く根ざしており、アラブ人は一般に一つの言語の使用場面による使い分けであると考える。
フスハーはヨーロッパのラテン語、インド亜大陸のサンスクリット語、中華文明圏の古典中国語同様ひとつの文明を覆う共通語・教養語であったが、それらの中で現在でも現役で使用されているほとんど唯一の言語である。しかし、ラテン語、サンスクリット語、古典中国語が言語変化により多数の娘言語に分裂し、ひとつの生きた(母語話者を持つ)言語としては解体され消滅したの同様、フスハーも中世以降多くのアーンミーヤ(現代口語)に分裂し、生きた言語としてはその役割を終えている。現在ではフスハーを母語とするものは原則的になく、異なるアーンミーヤを母語とする者同士の橋渡し言語として用いられている。
古典アラビア語
古典アラビア語は、ムスリムたちの聖書である『クルアーン』や、7-9世紀のウマイヤ朝からアッバース朝にかけての文学作品に用いられた言語である。
古典アラビア語は全ての口語アラビア語諸変種の祖語であると見なされることも多いが、近年の研究、たとえばクリーヴ・ホールズ (2004) は、古代北部アラビア語の諸方言が7世紀には存在し、それが現代におけるいくつかの口語変種の祖語となっている可能性を示して、この見方に疑問を呈している。
現代標準アラビア語
現代標準アラビア語(MSA)は、中東から北アフリカにかけて文章における共通語であり、国際連合の公式6言語の一である。印刷物(書籍、新聞、公文書、小児向けよみもの)はおおむねMSAで書かれる。「口語」アラビア語(アーンミーヤ)は日々その地域で話されることによって分化したアラビア語の多くの国家的・地域的変種を指し、また、母語として習得される。これらの変種同士で相互理解不能なほどに異なるものもある。書かれることはあまりないが、特に劇や詩といった分野でのいくらかの文学作品が多くの変種に存在する。文語アラビア語または古典アラビア語は「アラビア語」を公用語とする国々の唯一の公用語であるだけではなく、学校の全課程で教えられる唯一のアラビア語の形である。
現代のアラビア語についての社会言語学的状況は、ダイグロシア(社会的な状況の違いなどにより、一つの言語の異なる二つの変種を用いること)という言語学的現象の優れた例となっている。教育を受けたアラビア語話者は、公の場で現代標準アラビア語によってコミュニケーションを取ることができる。このようなダイグロシア的環境のために、コード・スイッチ(言語の二つの変種を話者が双方向に「スイッチ」する)が頻繁に起こり、時には一つの文の中でも見られる。一例として、異なった出身国の、高等教育を受けた二人のアラビア語話者が会話をすることになり、自身の方言では相互理解不能であったとすると(例: モロッコ出身者とレバノン出身者との会話)、意思疎通のためにMSAへコード・スイッチすることができる。
古典アラビア語に(特に前イスラームから、クルアーンの言語を含むアッバース朝の時代において)深く根付いてはいるが、文語アラビア語は変化しつづけている。古典アラビア語は規範的であるとみなされる。出来不出来の差はあるものの、近代の文章家は(シーバワイヒのような)古典的文法家の示す文法規則に従おうとし、(リサーヌ・アル=アラブのような)古典的辞書に示される語彙を使用しようとする。
しかし、急激な近代化により、古典の作者には理解しがたいであろう多数の語が導入された。それらの語は、他言語からの借用(例: فيلم フィルム)や、既にある語からの新造(例: هاتف 電話 < 話す人)という形態を取った。MSAは他言語や口語アラビア語の文法構造からも影響を受けている。MSAでは並列の際に「それ・それ・それとそれ」という文があるが、古典アラビア語では「それとそれとそれとそれ」とし、主語を先頭にする文が明らかに古典アラビア語よりMSAにおいて著しい。このため、近代共通アラビア語はアラブの外の文献では一般に古典アラビア語と異なるものとして扱われる。
地域的変種
MSAは中東全域で用いられるが、口語の影響でいくつかの地域的変種がみられる。インタビューに対してMSAで話すとき、(たとえば、ج ジーム /ʤ/ をエジプトでは /g/ と読み、レバノンにおいては /ʒ/ と読むような)いくつかの音素の発音や、語と文型において口語と古典語を混同することで出身が分かることがある。古典語・口語の混合は正式な文章で見られることもある(例えば、エジプトのいくつかの新聞の論説など)。
文法
参考文献
- クリーヴ・ホールズ Holes, Clive (2004) Modern Arabic: Structures, Functions, and Varieties Georgetown University Press. ISBN 1-58901-022-1
- 内記良一 「二つのアラビヤ語について」 『アラビヤ語会話練習帳』 大学書林 1979(昭和54年).