武田信政
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武田 信政(たけだ のぶまさ)
武田 信政(たけだ のぶまさ、?-文永2年(1265年)は、鎌倉時代前・中期の武将。
甲斐武田氏の第6代当主。第5代当主・武田信光の長子。生母は新田義重の娘で、一条信長の同母兄。通称は小五郎、幼名は龍光丸・勝千代。
官位は伊豆守。安芸守。若狭守。子に、武田信時(五郎次郎、安芸守護信時流武田氏祖)・武田政綱(五郎三郎、石和流武田氏祖)・下条政長・岩崎信盛がいる。
若い頃、讒言により安芸国に流されたが、やがて許されて復帰した。1221年の承久の乱でも幕府方として父と共に活躍した。その後、父が出家したため、家督を継いで当主となった。1265年に死去し、後を子の武田信時が継いだ。
建長6年(1254年)成立の『古今著聞集』には信政に関する逸話が記されている。