タテノリライブパーティー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2008年12月22日 (月) 16:04時点における218.47.233.202 (トーク)による版 (金曜深夜(生放送))
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

タテノリライブパーティーは、HBCラジオで1989年4月から1992年9月まで放送されていた、現在カーナビラジオのメインパーソナリティYASUがパーソナリティを務めていたラジオ番組

放送開始当時、YASUは及出泰(おいでやす)と言う芸名で、ロックバンドストリートダンサーのボーカルだった。

及出泰が1989年3月まで水曜日のパーソナリティーを担当していた深夜番組真夜中ラジオ組の終了を受け、リスナーからの強い要望もあり土曜深夜の30分番組としてスタート。その後放送時間の変更・拡大を経て、その度にファンを拡大していき最後の公開録音には全国とは行かなくとも東日本全域からリスナーが集結した。

また、この番組は公開録音スタイルがとられており、当初は改装前の第3スタジオでギャラリーも5~6人だったが、その後常時10人以上集まるようになり、更にギャラリーの数が増えたため広い第1スタジオに移って収録するようになった。番組中期以降は常時20~30人、春夏冬の学校の休みや大型連休時には30人を超えるギャラリーが集まった。当初、金曜の夜の収録だったがのちに土曜夜の収録に変更になった。また、途中からスタジオC2スクエアも及出泰が担当するがこちらも公開録音で、タテノリ収録前に同じスタジオで収録していた。

番組の歩み

及出泰のタテノリライブパーティー

放送時期

1989年4月から1989年9月まで

放送時間

毎週土曜27時から27時30分まで

番組概要

それまでのらじお組の延長のような雰囲気で、初期の頃は電話以外のコーナーはしょっちゅう中止になったり、いつの間にか消えてたりした。また、27時30分からのYOUのO型でごめんねとの連動キーワードクイズ、タテノリO型クイズも実施していた。

コーナー

  • 私、悩んでます:有名人の人には言えない悩みを本人に代わって打ち明けよう、という有名人の悪口コーナー。いつの間にか終了。
  • 私が一番幸せを感じるとき:リスナーのささやかな幸せを感じる瞬間(ex.耳かきで大きな耳垢が取れたときetc・・・)を告白してもらうコーナー。数週間で終了。
  • タテノリホットライン:収録中のスタジオとリスナーの家を電話でつなぎ、スタジオに来る事が難しいリスナーも番組に参加してもらおう、と言うコーナー。のちに勝ち抜き物真似バトル、テレフォンXへと発展。
  • リスナー分布図大作戦:聴取率調査の対象時間外のため、番組独自でリスナーの分布を調査。北海道の各支庁別に調査を実施したが、結果は惨憺たるもの。更には最後の週に道内外関係なしで全部募集したところ今までの調査と数が合わなかった。
  • 口に出すナニ恥ずかしいコーナー:普通の単語なのに卑猥な感じのする言葉を挙げていくコーナー。時間帯移動に伴い終了。
  • 災い転じて福となる:リスナーの悩み相談をきっかけに、さまざまな苦難を逆手にとっていくやり方を挙げていくコーナー。勿論、実際には使えないものばかりだが。
  • タテノリ生ライブ:毎週及出泰がギターの弾き語りをする、番組の締めのコーナー。

及出泰のニュータテノリライブパーティー

放送時期

1989年10月から1990年3月まで

放送時間

毎週日曜19時30分から20時まで

番組概要

放送時間がもうすぐ夜明けと言う深夜から一気に浅い時間帯に移動。それに伴い一部過激な内容のコーナーは廃止したはずだったが、開始から2週目で「タテノリじゃなくワルノリ」と揶揄した抗議の手紙が届く。この頃からリスナーが増え始め、スタジオのギャラリーも増え始めたが、スタジオ改装のため2ヶ月ほど狭い第5スタジオでの収録となり、寿司詰め状態での収録となる。この頃から各コーナーが定着するようになる。

コーナー

  • 災い転じて福となる
  • カラダで勝負!いい仕事しまっせー:スタジオ常連ギャラリーのひーさんがスタジオでジェスチャーをして、及出泰が実況、それをリスナーが聞いて答えを考えるコーナー。簡単な問題で結構正解が出たが、ワザととんでもない答えを書いてくるドはずし賞狙いのリスナーも多かった。
  • タテノリホットライン・勝ち抜き物真似バトル:2人のリスナーと同時につなぎ、物真似バトルをやって5週勝ち抜きで豪華商品、だったが結局出なかった。
  • タテノリ生ライブ

タテノリライブパーティー

放送時期

1990年4月から1992年3月まで

放送時間

毎週日曜25時から26時まで

番組概要

らじお組時代からの悲願の60分ワイド化。間に五木寛之の夜を挟むが、24時からラジアメ、26時からコサキン増刊号と前後の番組に恵まれたほか、STVの人気番組アタックヤングが終わった後にスタートするため、STVのリスナーも多数こちらに移動してきた。この頃、リスナー、ギャラリー共に爆発的に増え、第3スタジオが手狭になって来たために第1スタジオに移動。また、この番組の途中で芸名を及出泰から現在のYASUに変えた。

コーナー

  • 真夜中のクラブ活動:リスナーが部を立ち上げ活動方針を公開。次週入部希望が5人以上あれば成立、満たなければ失敗。1年くらい続いた。
  • 勝ち抜きネタ合戦・放送作家への道:クラブ活動終了後に始まったコーナー。リスナーがはがきネタのコーナーを考案。次週5枚以上葉書が来たら勝ち抜き。5週勝ち抜きで放送作家の称号を獲得。
  • 災い転じて福となる
  • カラダで勝負!いい仕事しまっせー
  • P小説:少し卑猥な感じの小説を朗読し、その中の一つの単語の一部または全部を放送禁止用語などに使われるピー音で隠してその単語を当てるコーナー。カラダで勝負と同様にドはずし狙いの答えも多数寄せられる。一度終了するがその後のコーナーが不評&P小説再開希望が多数寄せられ再開された。
  • タテノリホットライン・テレフォンX:やはり2人のリスナーを同時につなぎ連想ゲーム対決。出題はスタジオのギャラリーが行った。
  • YASUのソング・フォー・ユー:リスナーから詞を募り、優秀作にYASUが曲をつけてスタジオで歌った。それまでの生ライブは減少した。

YASUのタテノリライブパーティーワイド

放送時期

1992年4月から1992年10月まで

放送時間

毎週月曜から金曜24時から24時30分まで

番組概要

真夜中らじお組以来の平日の深夜に進出。しかも今度は月~金の帯番組。月曜・火曜が今まで通りの公開録音、木曜・金曜は生放送と言うスタイルだった。 歴代のHBCラジオの24時台の番組としては最も善戦したが、スポンサーがつかなかったため終了の憂き目に会う。一説には当時のHBCの局のイメージに合わなかったためとも言われる。

月曜深夜(公開録音)

  • 勝ち抜きネタ合戦・放送作家への道

火曜深夜(公開録音)

  • P小説
  • タテノリホットライン・テレフォンX
  • YASUのソング・フォー・ユー

水曜深夜

  • ハイスクールネット:道内の高校(と言うか札幌の高校)の放送部をスタジオに呼んで放送。

木曜深夜(生放送)

  • ギョー天:業界関係者による覆面座談会。

金曜深夜(生放送)

  • キング・オブ・ポンチーズ:YASUの子分、ポンチーズが毎回お馬鹿な指令を実行。