近鉄富田駅
近鉄富田駅(きんてつとみだえき)は、三重県四日市市富田一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)・三岐鉄道の駅である。
目次
乗り入れ路線
近鉄の名古屋線と、三岐鉄道の三岐線が乗り入れている。三岐線は「近鉄連絡線」として乗り入れている。かつては本線の起点である国鉄(現・JR東海)関西本線の富田駅のほうに乗り入れていたが、近鉄線に比べて国鉄線は列車本数が極端に少なく、速度も遅かったため、多くの利用客が列車本数の多い当駅まで徒歩連絡していた。近鉄連絡線完成後も双方の駅に乗り入れていたが、1985年(昭和60年)に当駅発着に統一された。
近鉄名古屋線は、普通、準急、急行の各列車が停車し、三岐鉄道は全ての旅客列車が当駅に乗り入れており、当駅では「三岐鉄道線(三岐線)」と案内される。
駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅である。近鉄線が1・2番線、三岐線が3番線を使用する。近鉄線には待避設備がなく、絶対信号機をもたない棒線駅となっている。ホーム長は6両編成に対応している。近鉄名古屋線内の急行停車・特急通過駅ではホーム全体に上屋がある数少ない駅である。
近鉄線と三岐線は当駅の北側でJR富田駅を避ける形で関西本線と立体交差するため、構内からS字曲線・22.7‰の急勾配が連続する。交差部付近の急曲線(曲線半径は近鉄221m、三岐200m)の通過速度は近鉄線では45km/hに制限されており、全列車が速度制限を受けて走行する。
のりばと駅舎
1 | テンプレート:Color近鉄名古屋線(下り) | 四日市・大阪・神戸・賢島方面 |
---|---|---|
2 | テンプレート:Color近鉄名古屋線(上り) | 桑名・名古屋方面 |
3 | テンプレート:Color三岐鉄道線 | 保々・大安・西藤原方面 |
駅東西に駅舎がある。東駅舎(近鉄管理)は近鉄名古屋線下りホームに接し、各ホームと西駅舎は地下道で結ばれる。
- 単式ホーム:1番線
- 2010年(平成22年)9月24日まで、反転フラップ式案内表示機(ソラリー)による近鉄線の列車案内板が1箇所設置されていた。この案内板は9月25日に東改札口の吊り下げ案内標識とともに液晶式(LCD)に更新された。ソラリーでは行先・種別・停車駅のみの表示であったが、LCD更新後は加えて発車時刻・両数・次発列車(2列車表示可能)が表示されるようになった。また、列車接近時には「電車にご注意ください」と表示されるようになった。ホーム南端に待合室がある。
- 島式ホーム:2番線、3番線
- 2番線にはLCDによる近鉄線の列車案内板が2箇所設置されており、1番線と同様の内容が表示される。2010年(平成22年)9月25日まではソラリーを使用していた。3番線には三岐線の列車案内板が設置され、時刻・行先のみ表示される。以前は、近鉄と同様にソラリーを使用していたが、2009年(平成21年)3月にLED式に更新された。当駅では、三岐線のソラリーが近鉄より先に使用を開始しており、当時の近鉄は方向幕式の案内板を使用していた。かつて売店が存在していたが、2007年(平成19年)9月24日をもって閉店した。この結果、名古屋線内での特急停車駅以外の売店設置駅は無くなった。
- 西駅舎
- 富田の鯨船行事が残りかつて捕鯨を中心とする漁業を行っていた富田地区にゆかりのあるくじらを模した駅舎となっている。駅の屋根は太陽光発電システムが採用されている。現在の西駅舎は2008年(平成20年)11月に完成した。
東西改札口ともに自動改札機が設置されている。ただし、スルッとKANSAIやJスルーカードには対応していない。なお、回数券・定期券は、各々の管理下の改札口で販売される。東駅舎の窓口では近鉄の特急券が購入可能である。正式なアナウンスはないが、東口の券売機(新型のタイプ)にスルッとKANSAIカード及びJスルーカードを挿入することにより切符を購入することができる。三岐鉄道は、ICカード乗車券に非対応であり、改札内に乗り換え用のICカードリーダーなども設置されていないため、当駅まで近鉄をICカード乗車券で乗車して三岐鉄道に乗り換える場合は、一旦ICカード乗車券で出場し三岐線に有効な乗車券類を購入する必要がある。東口・西口ともに自動券売機で購入できるのは近鉄の乗車券のみであり、三岐鉄道線の乗車券は東口・西口ともに出札窓口でのみ販売される。
ダイヤ
近鉄名古屋線
特急以外の全列車が停車する。前述の通り当駅は待避設備が無く、特に下り急行は1つ前の急行停車駅である桑名駅でも列車(特急)待避ができないため、必然的に最短でも近鉄四日市駅か塩浜駅までは先行するダイヤとなっている。準急・普通列車は川越富洲原駅ないし阿倉川駅で待避するが、日中はこれらの駅では急行の通過待避が行われないため、上り普通列車は近鉄弥富駅か近鉄蟹江駅まで、上り準急は近鉄名古屋駅まで、下り準急・普通は近鉄四日市駅まで先行している。ただし、日中の下り列車は一部時間帯で準急や普通列車が発車した4分後に急行が続行して発車することがあり、この場合も普通列車が近鉄四日市駅まで先行するため、急行は川原町駅付近まで徐行運転を強いられている。
三岐鉄道三岐線
始発駅であり全ての列車が停車する。日中は西藤原駅折返し、保々駅折返し列車が毎時1本ずつ運転されている。夜間停泊は行われない。近鉄線との連絡は朝と夕方以降は良好である。
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。近鉄は三岐鉄道からの乗り継ぎ人員を含んでいる。
年度 | 近畿日本 鉄道 |
三岐鉄道 |
---|---|---|
1997年 | 9,273 | 4,001 |
1998年 | 9,148 | 4,032 |
1999年 | 9,150 | 3,914 |
2000年 | 9,176 | 3,891 |
2001年 | 9,025 | 3,859 |
2002年 | 8,731 | 3,731 |
2003年 | 8,715 | 3,734 |
2004年 | 8,777 | 3,765 |
2005年 | 8,863 | 3,796 |
2006年 | 8,917 | 3,760 |
2007年 | 8,974 | 3,841 |
2008年 | 9,068 | 3,916 |
2009年 | 8,962 | 3,738 |
2010年 | 9,105 | 3,745 |
2011年 | 9,179 | 3,614 |
2012年 | 9,344 | 3,758 |
近鉄富田駅の利用状況の変遷を下表に示す。輸送実績(乗車人員)の単位は人/年度である。乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
2008年(平成20年)11月18日の調査結果によると、1日の利用客は14,698人(前回2005年11月8日の調査では13,606人)。
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、53位。
- 名古屋線の駅(44駅、他線接続駅含む)の中では、近鉄名古屋駅・近鉄四日市駅・津駅・桑名駅に続き5位。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅、但し調査当時の数)の中では、近鉄四日市駅・津駅・桑名駅に続き4位。
- 上記より、当駅は名古屋線内および大阪線、山田線、鳥羽線を含めた三重県内の特急通過・急行停車駅の中では最も利用客が多い駅である。(逆に名古屋線で最も利用客の少ない急行停車駅は伊勢若松駅で、三重県全体を含めると大阪線の西青山駅が最も少ない。)
表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 [年 度] |
当駅分輸送実績(乗車人員)[人/年度] | 乗降人員調査結果 [人/日] |
特 記 事 項 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950(昭和25) | 1,350,210 | ←←←← | 1,049,870 | 2,400,080 | |||
1951(昭和26) | 1,437,480 | ←←←← | 1,044,390 | 2,481,870 | |||
1952(昭和27) | 1,296,300 | ←←←← | 1,007,056 | 2,303,356 | |||
1953(昭和28) | 1,274,100 | ←←←← | 992,419 | 2,266,519 | |||
1954(昭和29) | 1,230,060 | ←←←← | 961,243 | 2,191,303 | |||
1955(昭和30) | 1,248,090 | ←←←← | 982,834 | 2,230,924 | |||
1956(昭和31) | 1,395,930 | ←←←← | 925,875 | 2,321,805 | |||
1957(昭和32) | 1,481,460 | ←←←← | 952,413 | 2,433,873 | |||
1958(昭和33) | 1,493,130 | ←←←← | 869,498 | 2,362,628 | |||
1959(昭和34) | 1,519,650 | ←←←← | 732,180 | 2,251,830 | |||
1960(昭和35) | 1,791,000 | ←←←← | 830,802 | 2,621,802 | |||
1961(昭和36) | 1,969,950 | ←←←← | 940,295 | 2,910,245 | |||
1962(昭和37) | 2,110,020 | ←←←← | 911,005 | 3,021,025 | |||
1963(昭和38) | 2,320,320 | ←←←← | 819,656 | 3,139,976 | |||
1964(昭和39) | 2,583,870 | ←←←← | 825,829 | 3,409,699 | |||
1965(昭和40) | 2,859,780 | ←←←← | 827,541 | 3,687,321 | |||
1966(昭和41) | 2,968,830 | ←←←← | 745,927 | 3,714,757 | |||
1967(昭和42) | 3,032,160 | ←←←← | 741,731 | 3,773,891 | |||
1968(昭和43) | 3,007,050 | ←←←← | 773,074 | 3,780,124 | |||
1969(昭和44) | 2,962,980 | ←←←← | 846,228 | 3,809,208 | |||
1970(昭和45) | 3,084,030 | ←←←← | 881,137 | 3,965,167 | |||
1971(昭和46) | 3,213,900 | ←←←← | 915,532 | 4,129,432 | |||
1972(昭和47) | 3,242,340 | ←←←← | 911,595 | 4,153,935 | |||
1973(昭和48) | 3,232,540 | ←←←← | 935,716 | 4,218,256 | |||
1974(昭和49) | 3,323,880 | ←←←← | 993,687 | 4,317,567 | |||
1975(昭和50) | 3,320,520 | ←←←← | 994,059 | 4,314,579 | |||
1976(昭和51) | 3,240,420 | ←←←← | 1,020,822 | 4,261,242 | |||
1977(昭和52) | 3,063,750 | ←←←← | 1,013,403 | 4,077,153 | |||
1978(昭和53) | 3,073,560 | ←←←← | 1,026,440 | 4,100,000 | |||
1979(昭和54) | 3,135,990 | ←←←← | 1,041,948 | 4,177,938 | |||
1980(昭和55) | 3,121,350 | ←←←← | 1,031,416 | 4,152,766 | |||
1981(昭和56) | 3,167,760 | ←←←← | 1,015,596 | 4,183,356 | |||
1982(昭和57) | 3,097,650 | ←←←← | 1,020,893 | 4,118,543 | 11月16日 | 20,331 | |
1983(昭和58) | 3,070,110 | ←←←← | 1,018,030 | 4,088,140 | 11月8日 | 20,326 | |
1984(昭和59) | 2,977,590 | ←←←← | 967,678 | 3,945,268 | 11月6日 | 21,303 | |
1985(昭和60) | 2,972,490 | ←←←← | 965,613 | 3,938,103 | 11月12日 | 19,218 | |
1986(昭和61) | 2,908,560 | ←←←← | 988,574 | 3,897,134 | 11月11日 | 18,751 | |
1987(昭和62) | 2,937,240 | ←←←← | 969,643 | 3,906,883 | 11月10日 | 20,017 | |
1988(昭和63) | 3,017,580 | ←←←← | 967,907 | 3,985,487 | 11月8日 | 20,022 | |
1989(平成元) | 2,984,010 | ←←←← | 923,308 | 3,907,318 | 11月14日 | 19,289 | |
1990(平成2) | 3,007,830 | ←←←← | 991,200 | 3,999,030 | 11月6日 | 19,982 | |
1991(平成3) | 3,012,480 | ←←←← | 974,691 | 3,987,171 | |||
1992(平成4) | 2,968,230 | ←←←← | 991,085 | 3,959,315 | 11月10日 | 18,522 | |
1993(平成5) | 2,915,010 | ←←←← | 994,185 | 3,909,195 | |||
1994(平成6) | 2,820,120 | ←←←← | 925,834 | 3,745,954 | |||
1995(平成7) | 2,777,850 | ←←←← | 932,753 | 3,710,603 | 12月5日 | 18,313 | |
1996(平成8) | 2,661,900 | ←←←← | 914,332 | 3,576,232 | |||
1997(平成9) | 2,495,130 | ←←←← | 889,556 | 3,384,686 | |||
1998(平成10) | 2,508,450 | ←←←← | 830,788 | 3,339,238 | |||
1999(平成11) | 2,478,840 | ←←←← | 870,000 | 3,348,840 | |||
2000(平成12) | 2,465,460 | ←←←← | 883,781 | 3,349,241 | |||
2001(平成13) | 2,433,690 | ←←←← | 860,600 | 3,294,290 | |||
2002(平成14) | 2,330,760 | ←←←← | 856,038 | 3,186,798 | |||
2003(平成15) | 2,314,050 | ←←←← | 875,443 | 3,189,493 | |||
2004(平成16) | 2,360,820 | ←←←← | 842,744 | 3,203,564 | |||
2005(平成17) | 2,392,170 | ←←←← | 842,623 | 3,234,793 | 11月8日 | 13,606 | |
2006(平成18) | 2,420,580 | ←←←← | 833,915 | 3,254,495 | |||
2007(平成19) | 2,438,310 | ←←←← | 846,252 | 3,284,562 | |||
2008(平成20) | 2,460,600 | ←←←← | 849,174 | 3,309,774 | 11月18日 | 14,698 | |
2009(平成21) | 2,466,870 | ←←←← | 804,299 | 3,271,169 | |||
2010(平成22) | 2,511,360 | ←←←← | 811,759 | 3,323,119 | 11月9日 | 15,496 | |
2011(平成23) | 2,524,530 | ←←←← | 835,114 | 3,359,644 | |||
2012(平成24) | 2,565,240 | ←←←← | 845,361 | 3,410,601 | 11月13日 | 15,027 |
駅周辺
駅周辺道路は狭いわりに、車の往来は激しい。
- 十四川の桜並木 - 駅のすぐ南側を流れる十四川沿いの桜並木(四日市でも歴史のある桜並木)。春には桜祭りが行われる。
- 富田の一本松(旧跡)
- 塩役運河(跡地)の水と緑のせせらぎ広場
- 東海道富田の一里塚(旧跡)
- 茂福城跡地
- 富田城跡地
- 四日市市役所大矢知地区市民センター
- 四日市市役所富田地区市民センター
- 三重県立四日市高等学校
- 三重県立北星高等学校
- 富田文化幼稚園
- 四日市富田西郵便局
- イオンモール四日市北
- フレスポ四日市・ヤマナカ四日市富田フランテ館
- 富田駅 - 東海旅客鉄道関西本線 当駅の約300m東方に位置する。
バス路線
乗り場 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行会社 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
近鉄富田駅前 | 四日市大学線 | (直行) | 東芝正門前 | 三岐鉄道 | 平日朝運転 | |
四日市大学四日市看護医療大学前 | 東芝正門前 | 平日土曜運転 | ||||
四日市大学看護医療大学前 | 平日休日運転 | |||||
山城・富州原線 | 大矢知市民センター前・北永台・伊坂台3丁目 | 山城駅前 | 四日市市自主運行バス | |||
四日市大学線 | JR富田駅前 | 三岐鉄道 | 平日土曜運転 | |||
川越高校線 | 川越高校 | 平日土曜運転 | ||||
山城・富州原線 | イオンモール四日市北 | 天ヶ須賀2丁目 | 四日市市自主運行バス |
歴史
- 1929年(昭和4年)1月30日 - 伊勢電気鉄道桑名 - 四日市間開通時に西富田駅として開業。
- 1936年(昭和11年)9月15日 - 参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併。参宮急行電鉄伊勢線の駅となる。
- 1938年(昭和13年)12月7日 - 線路名称改定。名古屋線の所属となる。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道の駅となる。同時に関急富田駅に改称。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併、近畿日本鉄道の駅となる。同時に近畿日本富田駅に改称。
- 1970年(昭和45年)3月1日 - 近鉄富田駅に改称。
- 1970年(昭和45年)6月25日 - 三岐鉄道近鉄連絡線が開業。
- 2000年(平成12年) - 長年親しまれていたそば・うどんコーナーが廃止となる。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
- 2007年(平成19年)9月24日 - 名古屋方面ホームの駅売店が閉店。
- 2008年(平成20年)11月29日 - 西口新駅舎使用開始。
- 2009年(平成21年)4月6日 - 西口駅前広場の整備が完了[1]。
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 名古屋線