ハルハウス
ハルハウス(Hull House)[1] は、1889年近代社会福祉の母といわれるジェーン・アダムズが、イリノイ州シカゴにエレン・ゲイツ・スターと共同で設立した施設で、当時世界最大規模のセツルメントハウス(隣保館ともいう)を創設する[2]
発展
さらに、13もの施設にさまざまな部門を抱えるまでに発展し、アメリカ合衆国では最大規模のセツルメントのひとつとなった。ジェーン・アダムズは、このようなセツルメントをロンドンのトインビーホールという先駆で見てきたことがあり、同様のものをアメリカにもと設立に踏み切った。彼女は、ここを拠点に平和運動、市民運動を展開し、ノーベル平和賞を受賞した。
その始まりは、近在に住む労働者階層の人たち、その殆どが移民でもあり、彼らに社会的、教育的な学習の機会を提供するというのが、第一の目的であった。もともとは、1856年に建てられた裕福な実業家の邸宅であったが、30年を経過した当時は、シカゴの中でももっとも貧しい地域に位置していた。
事業
文学、歴史、芸術などのさまざまな教室が設けられ、その他の授業も行われ、コンサートはだれが来ても無料で、その時々の話題についての聴講無料の講演も行われ、子どもや大人のためのクラブ活動もあった。子どものためには伝承遊びなどがコーチされた。その後、セツルメントは、さまざまな形で枝葉が広がり、貧困者のための慈善活動などのサービスも提供するようになった。
病気の子どものための栄養のあるものを与えるような調剤局もあったし、デイケアセンター、公衆浴場、そしてホームレスのためのシェルターも設けられた。 セツルメントは次第に、市民運動のような形で発展し、市民や州、国のレベルでの法制度的な改革のための代弁者となっていった。彼女らが特に擁護したのは、児童就労者の問題や移民政策などである。
ハルハウスの女性たち
ここに常駐して活動した人たちには、次のような人たちがいる。[3]
- イーディス・アボット(Edith Abbott)
- グレイス・アボット(Grace Abbott)
- ソフォニスバ・ブレッキンリッヂ(Sophonisba Breckinridge)
- アリス・ハミルトン(Alice Hamilton)
- フローレンス・ケリー(Florence Kelley)
- メアリー・ケニー(Mary Kenney)
- ジュリア・ラスロップ(Julia Lathrop)
- メアリー・マクドゥエル(Mary McDowell)
- アルジナ・スティーブンス(Alzina Stevens)
脚注
- ↑ 静岡県下田市にある宿泊型フリースクール「ハルハウス」は、この名とは無関係。
- ↑ 木原活信『J・アダムズの社会福祉実践思想の研究-ソーシャルワークの源流-』川島書店1998参照。
- ↑ ポール・ケロッグは、このグループのことを「ハルシュタット通りの偉大な女性たち」(Great Ladies of Halsted Street)と呼んだ。
参考文献 木原活信『J・アダムズの社会福祉実践思想の研究-ソーシャルワークの源流-』川島書店1998
外部リンク
- Jane Adams Hull House Association
- セツルメント研究所
- ヴァイオラ・スポーリンハルハウスに感化されたソーシャルワーカー
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