マルコム・ヤング
テンプレート:Infobox Musician マルコム・ミッチェル・ヤング (Malcolm Mitchell Young, 1953年1月6日 - ) は、スコットランド グラスゴー生まれ、オーストラリア シドニー育ちのギタリスト。AC/DCのリズムギタリストとして知られている。同バンドのアンガス・ヤングは、弟。デビュー当時から、グレッチのギターを愛用している。裏方に徹しており、アンガスとは正反対といっていいほど目立たないが、リフの強靭さは右に出るものは無く、兄弟のコンビネーションは最高といって良いほどである。
経歴
デビュー前
マルコムの両親、ウィリアムとマーガレットは1963年にスコットランドのグラスゴーからオーストラリアにジョージ、マーガレット、マルコム、アンガスの4人の子供を連れて移住した。兄弟の内の1人、アレックス(後にバンド、グレープフルーツを結成した)はイギリスに残された。一家はバーウッドの郊外に居を構えた。
ジョージ・ヤングが結成したバンド、イージービーツはオーストラリアで1965年から68年にかけて数多くのナンバー1ヒットを放ち、「Friday On My Mind」で世界的な成功を収めた。
マルコムはニューカッスルで「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」(ニューヨーク出身の有名なバンドとは同名の異なるバンド)というバンドに加わる。バンドはT・レックスやローリング・ストーンズのカヴァーを主に行った。
彼の弟アンガスは「カンタッキー」という別のバンドに加入した。
AC/DC
マルコムとアンガスは、1973年11月にAC/DCを結成した。当時マルコムは20歳、アンガスは18歳であった。彼らは初代ヴォーカリストのデイヴ・エヴァンズと共に1974年に世界ツアーを行う。
AC/DCは1976年に活動の拠点をイギリスに移し、世界ツアーおよびアルバム制作の過密なスケジュールをこなし始めた。1980年、ヴォーカリストのボン・スコットが死亡し、彼らは後継のヴォーカリストとしてブライアン・ジョンソンを迎える。ブライアンを加えて制作されたアルバム『バック・イン・ブラック』は世界的なヒット作と成った。
マルコムはアルコール依存症のため、1988年のツアーには不参加であった。しかしながらこの事実は隠され、公式には息子の病気のためツアーに参加しなかったとされた(息子は実際に病気であった)。マルコムはその後アルコール依存症を克服し、バンドに復帰した。マルコムの不在時、彼の甥であるスティーヴィーが後任としてバンドに参加した。