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大関 宗増(おおぜき むねます、1462年(寛正3年)- 1544年(天文13年))は、戦国時代の武将。那須七騎大関氏の当主。大関増雄の子。
那須政房による那須氏再統一に功があったが、永正15年(1518年)、同僚の大田原資清の才を妬んで主君に讒言し、これを追放して専横を極めた。しかし天文11年(1542年)、朝倉氏の支援を得て、復帰した大田原資清により嫡男・大関増次が殺され、資清の長男・大関高増を養嗣子として迎えることを余儀なくされた。