奉公構

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奉公構(ほうこうかまい、ほうこうかまえ)は、江戸時代の武士に対する刑罰の一つ。

概要

大名が、出奔した家臣又は改易した者について、他家が召抱えないように釘を刺す回状を出すことをいう。「仕官御構」(しかんおかまい)などと表現される。これによって他家への再仕官が出来なくなり、その土地から追放される。武士階級において切腹につぐ重刑である。豊臣秀吉によって始められたといわれる。寛永12年(1635年)に改正された武家諸法度および諸士法度によって、幕府法としても有効であると改めて確認された。

条文

武家諸法度・寛永令

寛永12年(1635年)発布、抜粋

  • 一、本主ノ障リコレ有ル者相抱エルベカラズ。モシ反逆・殺害人ノ告ゲ有ラバコレヲ返スベシ。向背ノ族ハ或ハコレヲ返シ、或ハコレヲ追ヒ出スベキ事。
    • 訳:元の主人から問題のあるとされた者を家来として召し抱えてはならない。もし反逆者・殺人者との知らせがあれば元の主人へ返すこと。行動が定かではない者は元の主人へ返すか、または追放すること。


奉公構を受けた歴史上著名な人物


関連項目

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