ケツァルテナンゴ

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ケツァルテナンゴ(Quetzaltenango)はグアテマラ南部の内陸の都市グアテマラシティについでグアテマラ第二の人口をもち、ケツァルテナンゴ県の県都である。

概要

2000年の人口はおよそ250,000人で、人口の50%は先住民、49%はメスティーソ、その他が1%である。海抜2,333m の山中の谷に位置する。

歴史

スペインにより植民地化される以前には Xelajú (シェラフ)という名のマヤ人の都市であった。Xelajú はマヤ語で「十の山の傍」を意味する "Xe laju' noj" から来ている。スペインによる植民地化より300年ほど前に町が存在していたが、植民地化以後現在の名ケツァルテナンゴで呼ばれている。1520年代コンキスタドールペドロ・デ・アルバラドがマヤの支配者テクン・ウマンをこの土地で敗北させた。ペドロ・デ・アルバラドは、同盟者だった中央メキシコの部族の言語であるナワトル語の名、ケツァルテアンゴを、この町の名とした。これは一般には「ケツァールの場所」を意味すると考えられているが、異説もある。

1838年から1840年まではケツァルテナンゴは、中米連邦構成国(あるいは州)のひとつ、ロスアルトス(Los Altos)の首都であった。中米連邦の崩壊時に、ケツァルテナンゴは、ラファエル・カレラ率いるグアテマラ軍に征服され、グアテマラの一部となった。

19世紀コーヒーが作物としてこの地方一帯に導入された。ケツァルテナンゴはコーヒーの栽培と集散地として繁栄し、市街にはベル・エポックのヨーロッパ風の建造物がいまもなお多く残る。

現在は有名なアンティグア(Antigua)に次いで語学学校の多い町として知られており、またアンティグアよりも物価が安いこともあって外国人が多い。また長期滞在している欧米人バックパッカーなどの姿もよく見かける。

姉妹都市

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