ルドルフ・バルシャイ
テンプレート:Portal クラシック音楽 ルドリフ・ボリソヴィチ・バルシャイ(Рудольф Борисович Баршай, Rudol'f Borisovich Barshai, 1924年8月28日 - 2010年11月2日)は、ロシアのクラスノダル近郊ラビンスカヤ(Labinskaya)出身でスイスに在住していた指揮者。
人物
1943年にモスクワ音楽院に入学し、ヴァイオリンをツァイトン、ヴィオラをボリソフスキーに師事した。ショスタコーヴィチにも師事したことがある。
当初はヴィオラ奏者として活躍を開始。1948年からモスクワ音楽院弦楽四重奏団(現ボロディン弦楽四重奏団)、チャイコフスキー弦楽四重奏団でヴィオラ奏者を務め、翌1949年にはブダペストで開催された世界青年学生フェスティバルで最高名誉賞を受賞している。
指揮者としてのスタートは1955年。レニングラード音楽院でイリヤ・ムーシンに師事した後、モスクワ室内管弦楽団を創設して指揮者に就任した。ソ連内でも積極的な活動を行い、ソ連の作曲家の多くの作品の初演を飾っている。また、師ショスタコーヴィチの交響曲第14番の初演指揮を行い弦楽四重奏曲第8番を「室内交響曲」として編曲している。以後も何曲か編曲している。
1976年にイスラエルへ亡命。数々のオーケストラの指揮者、音楽監督を務めた。1991年にはナチスドイツによるソ連侵攻50年記念日に、ドイツの若手演奏家(ユンゲ・ドイッチュ・フィルハーモニー管弦楽団)とモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーで構成された臨時オーケストラの指揮をしている。1993年4月、亡命以来久しぶりにロシアに帰り、ロシア・ナショナル管弦楽団とベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」(サンクトペテルブルクで初演されている)を、モスクワ放送交響楽団とマーラーの交響曲第9番を演奏した。
初来日したのは1966年、以後たびたび来日。2004年12月には急病のシャルル・デュトワの代役でNHK交響楽団定期演奏会を振っている(偶然、直前の名古屋フィルハーモニー交響楽団の演奏会に客演しており、本来デュトワが指揮する予定だった曲目がバルシャイが得意とする室内管弦楽主体のものだったための人選だったようである)。
晩年は、マーラーの交響曲第10番を補筆完成、ユンゲ・ドイチェ・フィルを指揮して録音するほか、ショスタコーヴィッチやボロディンの弦楽四重奏曲を弦楽合奏版に編曲など、健在ぶりを示していたが、一年ほどの闘病生活の末、2010年11月2日、スイス・バーゼルにて死去[1]。テンプレート:没年齢。病床にあってもバッハの『フーガの技法』の編曲作業を行うなど音楽活動を続けていたといわれる。
歴任したオーケストラ
- イスラエル室内管弦楽団
- ボーンマス交響楽団(首席指揮者)(1983年 - 1989年)
- フランス国立管弦楽団(首席客演指揮者)(1987年 - 1989年)
- ヴァンクーヴァー交響楽団(音楽監督)(1985年 - 1989年)