紀元前191年
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テンプレート:Yearbox 紀元前191年は、ローマ暦の年である。
出来事
共和制ローマ
- マニウス・アキリウス・グラブリオとマルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスに率いられた共和政ローマは、セレウコス朝の王アンティオコス3世をトラキアの援軍から孤立させ、テルモピュレの戦いで包囲した。アンティオコスは残った兵とともにエウボイア島のカルキダに逃れ、そこから海路でエフェソスに避難した。
- マニウス・アキリウス・グラブリオはその後、アンティオコスをローマに宣戦布告するよう仕向けたアエトリア同盟に目を向けたが、ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスが仲介に入った。
- スキピオ・アフリカヌスは元老院 (ローマ)に対して、アンティオコス3世との戦争を続け、アンティオコスを追って自身と弟のスキピオ・アシアティクスをアナトリアに派遣するよう説得した。
- Lex Acilia de intercalando法により、ローマ暦の調整が行われた。
- ガリア・キサルピナがローマの属州になった。
カルタゴ
- 平和条約は10年前に結ばれていたが、カルタゴはローマからようやく補償金を回収したが、50年かかっても全額を払いきれなかった。ローマはカルタゴを確保しておくため、補償金の即時の支払いは拒否した。
パルティア
中国
誕生
死去
- アルサケス2世:パルティア王