ラフィー・ウッダラジャート
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ラフィー・ウッダラジャート(ヒンディー語:रफी उद-दर्जत, Rafi ud-Darajat, 1699年12月1日 - 1719年6月13日)は、北インド、ムガル帝国の第10代君主(在位:1719年)。父は第7代君主バハードゥル・シャー1世の三男ラフィー・ウッシャーン。
生涯
1699年12月1日、ラフィー・ウッダラジャートは、バハードゥル・シャー1世の三男ラフィー・ウッシャーンとその妃ラズィーヤトゥンニサー・ベーグムの息子として生まれた[1]。
1719年2月、サイイド兄弟はファッルフシヤルを廃位し、新たな皇帝にバハードゥル・シャー1世の三男ラフィー・ウッシャーンの息子、ラフィー・ウッダラジャートを即位させた[2]。
だが、ラフィー・ウッダラジャートの治世の間、アーグラ太守であるビールバルがサイイド兄弟に対抗するため、同年5月18日にアウラングゼーブの孫ネクシヤルを擁立する事態も発生した[3]。
そして、同年6月6日にサイイド兄弟らはラフィー・ウッダラジャートを廃位し、同月8日に新たな皇帝にその兄ラフィー・ウッダウラ(シャー・ジャハーン2世)を即位させた[4]。
同月13日、ラフィー・ウッダラジャートはサイイド兄弟によって、アーグラで殺害された[5]。ただし、結核で死亡したとする場合もある[6]。
家族
后妃
- イナーヤト・バーヌー・ベーグム