宮窪町
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テンプレート:Infobox 宮窪町(みやくぼちょう)は、愛媛県の東予地方(越智郡)にあった町である。2005年1月16日、今治市と越智郡11か町村の大合併により、新たに今治市の一部となり、自治体としての宮窪町は消滅した。
良質の花崗岩である大島石の産地として知られるほか、急な潮流にもまれ、付近は好漁場として知られ、漁業も盛んである。
下記事項以外は、大島のページ参照のこと。
地理
今治港から北東約4kmに浮かぶ芸予諸島の大島の東部に位置する。北、東、西の三方を海に面している。集落は、宮窪と呼ばれ、役場のある中心集落が一番大きく、それ以外の集落はほぼ海岸線に沿って点在している。宮窪集落の背後にあるカレイ山の展望台からは、瀬戸内の島々や石切場を展望することができる。
歴史
藩政期には今治藩に属す。
町の沿革
- 1889年12月15日 - 町村制施行に伴い宮窪村,友浦村が合併して越智郡宮窪村が成立。
- 福田村, 泊村, 田浦村, 早川村, 余所国村が合併して大山村となる。
- 1952年8月1日 - 宮窪村が町制施行して宮窪町となる。
- 1954年3月31日 - 大山村の一部早川,余所国を編入。
- 大山村の残部福田,泊,田浦は他村と合併して吉海町を新設。
- 2005年1月16日 - 今治市,菊間町,大西町,波方町,玉川町,朝倉村,吉海町,伯方町,上浦町,大三島町,関前村と合併して今治市となる。
宮窪町の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 本庄 ━━━━┓ 八幡 ━━━━┫ 幸新田━━━━╋━━━津倉村━━━━━━━━━━━┓ 仁江 ━━━━┛ ┃昭和29年3月31日 臥間 ━━━━┓ ┃合併・町制施行 南浦 ━━━━┫ ┣━吉海町━━┳━━━┓ 名 ━━━━╋━━━亀山村━┳━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ 正味 ━━━━┫ ┃あ ┃ う ┃ 椋名 ━━━━┫ ┗渦浦村━━━━━━┫ ┃ 津島 ━━━━┛ ┃ ┃ 福田 ━━━━┓ ┃ ┃ 泊 ━━━━┫ ┃ ┃ 田浦 ━━━━┫ ┃ ┃ 早川 ━━━━╋━━━大山村━━━━━━━━━━━┫ ┃ 余所国━━━━┛ い┃ ┃ 宮窪 ━━━━┓ ┃ ┃ ┣━━━宮窪村━━━━━宮窪町━━━┻━━━━━━━━━━┫ 友浦 ━━━━┛ ┃ ┃ ┃平成17年1月16日 ┃新設合併、新・今治市発足 今治市━━━━╋━━今治市 朝倉村━━━━┫ 玉川町━━━━┫ 波方町━━━━┫ 大西町━━━━┫ 菊間町━━━━┫ 伯方町━━━━┫ 上浦町━━━━┫ 大三島町━━━┫ 関前村━━━━┛ あ – 明治32年 分立 い – 昭和29年3月31日 大山村のうち早川・余所国の区域を宮窪町へ境界変更 う – 昭和30年8月1日 大字椋名のうち馬島が今治市へ編入 (注記)今治市以下の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
教育
町内に高等学校はない。同じ大島内に愛媛県立今治南高等学校大島分校(旧・愛媛県立大島高等学校)がある。
経済・産業
大島石で知られる石材業と農業・水産業が主たる産業である。
- 石材業
- 背後の山は良質な大島石が採掘され、町の主要産業となっている。特に、墓石等が知られている。
- 農業
- かんきつ生産が主体であるが、ブランド力を形成するには至っていない。JAおち今治のエリア。
- 漁業
- 島、特に中心集落である宮窪の前面、伯方島との間は急潮で知られ、潮流にもまれ、身の締まった魚が取れる。鯛、デビラ、蛸等。
- 工業
- 商業
- 中心集落に商店や飲食店が建ち並んでいるが、商店街というほどのものは形成していない。
交通
航路
フェリー・快速船により今治港、伯方島と結ばれている。ただ、瀬戸内しまなみ海道の開通により、随時性・高速性で勝る海道ルートへとシフトし、利用者・台数は減った。
鉄道
道路
- 高速道路
- 西瀬戸自動車道(しまなみ海道) 島内区間は2006年に開通した。(大島道路)
- 町内にあるインターチェンジ:大島北インターチェンジ
- 西瀬戸自動車道(しまなみ海道) 島内区間は2006年に開通した。(大島道路)
- 国道
- 国道317号 地元では「地道」と呼ばれている。
- 県道
観光
- 大島 (愛媛県今治市) のページを参照のこと。