征服王朝
テンプレート:華北の浸透王朝・征服王朝の歴史 征服王朝(せいふくおうちょう:Dynasty of Conquest)は、中国史における用語であり、漢族以外の民族によって支配された王朝を総称して、こう呼んでいる。但し、この語をもって呼ばれるのは、遼・金・元・清の4王朝であり、五胡十六国の諸国や北朝は「浸透王朝」という用語で定義され、征服王朝とは呼ばれない。
語源
語源は、在米ドイツ人東洋学者のウィットフォーゲルと馮家昇との共著である『中国社会史・遼』「序論」である。その説に従えば、この4王朝には、モンゴル系やツングース系の民族が漢民族を征服し、「中華帝国」の系統に属する王朝を起こしたが、少数の異質な文化を保持した民族が中国を支配した。そのため、相前後する漢民族王朝と、政治・経済・社会・文化などの諸方面において、相当な隔たりを持った性格を示していることによって、「征服王朝」という風に命名したという。
体制
その統治体制は、遼の北面制・南面制に見られるような複合的な統治体制であり、金・元・清も同様の多元的な政治体制をとった。この二重(多重)支配体制に対して、統治民族の本来もつ性格を残存しながらも、中国世界の統治に成功したと見る見方がある。一方では正反対に、異民族は結局のところ、人口的マジョリティである中国文化に同化してしまい、そのために弱体化して滅亡に至ったとする考え方もある。その二面的な考え方に対し、異質な征服民族と中華民族との文化面での接触により同化し、第三の全く新しい文化が生まれたとする見方もある。
これを社会的にみれば、北アジア的な諸部族による遊牧社会・狩猟社会と、被征服社会である中国の農耕社会との複合体制、二重体制であると言える。また、文化的には、各々が民族的な意識を高揚させた結果として、契丹文字・女真文字・パスパ文字・満州文字という国字を創生したことが特徴的である。
ヨーロッパでは、ノルマン人によるイングランド征服(ノルマン・コンクエスト)を征服王朝と呼ぶことが多い。