柳寛順

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テンプレート:参照方法 テンプレート:朝鮮の人物 柳寛順(ユ・グァンスン、 1902年11月17日 - 1920年10月12日)は朝鮮独立運動家

人物

1902年忠清南道天安郡(現・天安市)龍頭里にて、父柳重權、母李少悌のもと、5人兄弟の2番目の娘として生まれた。柳重權は開明的な人物であったが、「興護」という私立学校を設立したため多額の借金を抱える貧しい家庭であった。1916年、キリスト教メソジストの米国人女性宣教師アリス・シャープの援助によって、京城梨花学堂に給費生として入学した。

1919年三・一独立運動が勃発すると朝鮮総督府から各学校に対して休校命令が下された。故郷の天安に帰り、教会関係者などを通じて万歳デモを計画した。4月1日、柳寛順は並川市場に集まった群集に独立運動のアジ演説を行い、デモ行進に移った。しかし、日本の憲兵警察は群集に発砲し、柳寛順の父母も死亡した。[1]

一審で暴力デモを主導した罪で懲役3年が宣告されたが、控訴審裁判で裁判長と言い争いになり、裁判所の椅子を裁判長に投げつけるという事件を起した。この法廷内の事件によって法廷侮辱罪が適用され4年の刑期が追加求刑されたが、宣告された刑期は3年であった。高等裁判所に上告せず、これが刑量になったが、減刑があり最終刑量は7年6ヶ月となった。[2]しかし、その後も大規模獄中デモを主導するなど抵抗を続けた。1920年10月12日旧暦9月28日)、西大門刑務所内で残酷な拷問により獄死したとされるが、死亡日時には諸説ある。[3]

なお、天安市に「柳寛順体育館」(Yugwansoon Gym.)がある。

評価

韓国における評価

1962年韓国政府がその功績を認めて建国勲章を授与し、独立烈士と呼ばれるようになった。天安市の生家近くには柳寛順烈士記念祠堂が設けられ、西大門刑務所も歴史館として一般公開されている。

韓国のキリスト教の一部会派には、「祖国解放と世界平和のために投獄された柳寛順烈士は、アジアのジャンヌ・ダルク。その意義を模範として、韓日両国の友好と韓半島(朝鮮半島)統一の先頭に立つ」との見方より神聖化をはかる考え方もある。

他方、柳寛順への日本の蛮行、勇敢さについては極端な誇張と確実な証拠に基づかない空想部分が多いという指摘もある。また一部の主張には、柳寛順の四肢が切断されて石油缶に詰められたというものもあるが、そのような事実もなかったことが学友の証言で明らかになっている。[4]

なお、『朝鮮独立運動の血史』には彼女の名を見ることもできない。(写真は訳者の挿入)

朝鮮民主主義人民共和国における評価

朝鮮民主主義人民共和国では「三・一独立運動は金日成の父金亨稷先生を先頭に、平壌から展開された」とし、「この日の平壌では、昼12時の鐘の音を合図に、金亨稷先生が自ら育成した愛国的な青年学生と人民を先頭に、10万人の群集が『朝鮮独立万歳』、『日本人と日本軍は立ち去れ』というスローガンを叫びながら、激しいデモを繰り広げた」と主張し、「柳寛順の抗日運動は、金亨稷先生が主導した結果」とされている。[5]

天安の地域的特性

韓国には「忠清道両班」という言葉があり、これは忠清道が他の地域に比べて両班が多かったことを意味する。この両班は朝鮮王朝時代の特権階級であり、富裕層を構成していた。このことが、対日意識に影響したとする可能性が考えられる。

さらに、当時のアメリカでの監理教(メソジスト)と長老教(長老派)の派閥争いが朝鮮にも飛び火し、1909年教団間の領土分割協定により忠清道公州を基点に北側を監理教、南側を長老派が布教優先権を持つとされ、公州の北に位置する天安は監理教の管轄下に入った。

この地区の天安梅峰教会は、1905年の断髪令に抵抗する暴動、1907年の高宗廃位と軍隊解散による騒乱と、鎮圧に当たった日本軍に二度も焼却されている。朝鮮全土に拡大した三・一独立運動だが、朝鮮総督府の集計によると1919年4月の1ヶ月間で天安郡での反日デモ11回、デモ参加者6,400名、死亡者82名、負傷70名、被逮捕者189名。全体の死亡者553人のうちの82名が天安郡に集中している。

脚注

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参考文献

  • 『独立運動史』韓国国家報勲処
  • 『独立運動史資料集』韓国国家報勲処
  • 『朝鮮独立運動の血史』(著者 朴殷植 翻訳 姜徳相) OD出版、平凡社 2004年9月 ISBN 4256802169
  • 『朝鮮独立運動の血史 1 』 (著者 朴殷植 翻訳 姜徳相) 東洋文庫 214 ISBN 4582802141(平凡社 )
  • 『朝鮮独立運動の血史 2 』 (著者 朴殷植 翻訳 姜徳相) 東洋文庫 216 ISBN 4582802168(平凡社 )
  • 長田彰文『日本の朝鮮統治と国際関係―朝鮮独立運動とアメリカ 1910-1922』平凡社、2005年2月 ISBN 4582454313
  • 『柳寛順(ユ・グヮンスン)の青い空』早乙女勝元 草の根出版会
  • 裁判所の公式記録である判決文(大正8年6月30日言い渡し)、柳寛順の囚人識別票の資料によれば、内乱罪の適用などは無く、懲役2年6箇月とされている。罪状も上の事実のうち主たる先導者であること、演説を行ったこと等は資料上からは確認できない。
  • 判決当日(取調べ中という説もあり)に行なったと言われる法廷侮辱罪や7年の求刑も裁判記録になく、前述の通り微罪による懲役2年6箇月の言い渡しを受け、控訴せずに、西大門刑務所に服役した記録のみである。
  • 拷問により死亡との説もあるが、これに対応する取調べ記録は作成されていないため残されていない。
  • 「柳寛順への日本の蛮行、誇張多い」2002年2月26日『中央日報』
  • 『3.1運動的英雄不是柳寛順,而是金日成的父親金亨稷?』Daily NK 2008年3月1日号記事