植松家
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植松家(うえまつけ)とは、村上源氏岩倉家の分家、千種家の千種有能の末、植松雅永を祖とする公家。堂上源氏十家の一家で家格は羽林家、華族として子爵の家格を有した。名字の由来は、松を寄進したためともいわれる。
植松家は代々、華道・日本生花司 松月堂古流家元を継承している。当代家元は植松雅房。
略歴
元和6年(1620年)2代将軍徳川秀忠の娘の東福門院和子が、後水尾天皇の女御に迎えられたときの化粧料1万石の一部をあてて3家の公家が誕生。そのうちの一家が植松家である。
江戸時代中期、学僧でもあり華道家でもあった是心軒一露により華道「日本生花司 松月堂古流」が創流され、跡継ぎのいなかった是心軒一露は、弟子の公家、植松家三代目・中納言 賞雅に後事を託し、代々植松家当主が家元を継承している。現在、家元は植松雅房、墓所は浄土宗の大本山金戒光明寺である。 家紋は竜胆紋で植松竜胆を用いている。
系図
太線は実子、細線は養子。
千種有能 ┃ 植松雅永 ┃ 雅孝 ┝━━━━━━━━┓ 賞雅 幸雅 ┣━━━━┓ ┃ 岩倉尚具 岩倉広雅 雅陳 | 文雅 ┃ 雅諸 | 雅恭 ┝━━━┓ 雅言 雅徳