アイリス・チャン
アイリス・チャン(Iris Shun-Ru Chang、張純如、1968年3月28日 - 2004年11月9日)は、中国系アメリカ人のジャーナリスト・政治活動家・作家。
目次
来歴
アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストン生まれ[1]。チャンが2歳の時、一家はイリノイ州シャンペーン・アーバナに転居し、チャンは同地で成長した。
ユニバーシティ・ラボラトリー・ハイスクール(en)を卒業後、ジャーナリストを志してイリノイ大学ジャーナリズム学部に進み、ジャーナリズムの学士号を得る。AP通信[2]およびシカゴ・トリビューンでの短い勤務の後、ジョンズ・ホプキンス大学の大学院で学び、25歳のとき作家としてデビュー。
2004年に自家用車内で拳銃自殺した。
著作
チャンは生涯に3つの作品を著した。
『スレッド・オブ・ザ・シルクワーム』(1995年)
原題:『Thread of the Silkworm』
1950年代の「マッカーシズム(赤狩り)」における中国人科学者・銭学森についてのものであった。銭は長年アメリカ軍に協力したが、米政府に軍事機密持ち出しの嫌疑により逮捕された後中国に強制送還された。後にシルクワームミサイルの開発に関わり、「中国ミサイルの父」と呼ばれることとなる。
『ザ・レイプ・オブ・南京』(1997年11月)
原題:『The Rape of Nanking: The Forgotten Holocaust of World War II』
日中戦争における「南京大虐殺」について書かれたものである。ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに10週間掲載された。
『ザ・チャイニーズ・イン・アメリカ』(2003年)
原題:『The Chinese in America』
アメリカにおける中国人移民の歴史について物語風に記述し、中国系アメリカ人に対する迫害を告発している。アメリカではニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに数ヶ月間掲載された。一方で、「歴史的証拠の裏付けが欠如した、軽薄な中華思想とロマン主義に陥った駄作」と酷評するメディアもあり[3][4]、前作『ザ・レイプ・オブ・南京』ほどの評価は得られなかった[5]。
病気と自殺
チャンは『ザ・チャイニーズ・イン・アメリカ』の販売促進活動を行うと同時に、4作目として第二次世界大戦中のフィリピンで日本軍と戦い捕虜になった米軍兵士の過酷な運命(バターン死の行進)に関する作品に取り組んでいた。しかしながらうつ病を患い、入退院を繰り返していた。鬱の要因については諸説あり、現在そのどれもが推測の域を出ていない。彼女はカリフォルニア州サンノゼのサニーベールで夫と2歳の息子と暮らしていたが、2004年11月9日の午前9時頃に、カリフォルニア州サンタクララ郡の国道17号線、ロスガトスの南で自動車の中で死んでいるのを発見された。サンタクララ郡警察は、状況証拠からチャンが銃で自分の頭を撃ったものと断定した。後に3通の遺書が見つかっている。遺書の中には、自分がCIAのような米国の政府組織からつけ狙われていて逃げ場所がないゆえの自殺だと断定した記述もあった。
葬儀は2004年11月19日に行なわれ、親戚・知人等、600人が参列した。
その他
- 小林よしのりの漫画、ゴーマニズム宣言では、皮肉(イロニー)な戯画として、チャンは人民服姿で中国の国旗の上(下に少数民族の虐殺死体)に立ち、自著『レイプ・オブ・南京』をユダヤの亡霊を背後に背負うドイツ人記者と交換しあっている姿で描かれている。
- 『Iris Chang: The Rape of Nanking』 - 2007年に公開されたカナダのドキュメンタリー映画。日本未公開。本人をカナダ人女優Olivia Chengが演じている。
- スティーヴン・アンブローズはチャンについて「これまでで最高の若手歴史家」であると主張している[6]
脚注
- ↑ チャンの両親は1949年に中国人民解放軍から逃れて台湾に脱出した後、1962年にアメリカへ移住した。共にハーバード大学で学び、父親は理論物理学、母親は生物学の博士号を取得している。
- ↑ チャンはイリノイ大学在学中から実習生として記者活動を行なっていた。
- ↑ 『タイム』2003年8月11日号(アジア版)
- ↑ 『The Chinese in America』 第1章には、「しかしながら、中国の真の偉大さはその大きさや広がりにあるのではなくその年月(つまり、連綿と続く文明と、損なわれることの無い慣例および伝統の5千年間)にある。多くの歴史家によれば、中国国家は地球上でもっとも古い、機能する組織体である。」との記述がある。
- ↑ スーザン・ジェイクスは、本書を「チャンによる金切り声の説教」「過度に空想小説的な旅行ガイド」「民族主義的な中国本土の教科書」といった表現で批判している(『タイム』2003年8月4日 [1])
- ↑ テンプレート:Cite web。