東レ・アローズ (男子バレーボール)

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テンプレート:バレーボールチーム 東レ・アローズ(とうレ アローズ)は、V・プレミアリーグ)所属の静岡県三島市にある東レ三島工場の男子バレーボール部。

概要

発足は、1947年に滋賀県大津市の東洋レーヨン(現・東レ)滋賀工場にて9人制のバレーボールチーム『東洋レーヨン九鱗会』としてである。後に6人制となり、静岡県三島市の三島工場に移り現在に至る。

チームネームの『アローズ』とは、社内公募して誕生したもので、矢のような鋭さという意味が込められている[1]。また、2000年に女子強豪のユニチカ・フェニックスからチームを引き継ぎ、元本拠地である大津市に本拠地を置く女子チームにも同じチームネームが採用されている。

練習場は東レ総合研修センター横の体育館であり、練習見学も一部可能である[2]

実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)に第1回から参加している。

ファンクラブは、東レとは別のボランティア団体が運営している[2]

歴史

チームは1947年に滋賀県大津市の滋賀工場で設立された9人制のバレーボールチーム『東洋レーヨン九鱗会』としてスタート。『九鱗会』とは、9人制であることと、Vの形を取る陣形『鶴翼魚鱗の陣』に由来する[3]

1961年に全日本都市対抗大会(現・黒鷲旗大会)で優勝すると、6人制でも活躍し、全日本総合6・9人制のタイトルを獲得して全国大会のタイトルを独占する。1963年、再び都市対抗(1962年に6人制に移行)で優勝を果たした。

1964年にチーム本拠地を三島工場に移した[3]

実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)に第1回(1969/70シーズン)から参加。第1回では3位となる。

1970年、社名変更により、チーム名も『東レ九鱗会』となる。

第3回実業団リーグ(1971/72シーズン)で優勝、第4回準優勝で入替戦に出るものの、日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)に昇格できずにいた。1975年、第6回実業団リーグで優勝して出場した入替戦で勝利し、ようやく日本リーグ昇格を果たした。

日本リーグでは下位に低迷し続け、4年後の1979年に実業団リーグ降格。その後しばらく実業団リーグ在籍が続き、1988年に10年ぶりの日本リーグ復帰を果たす。

復帰戦となった第22回(1988/89シーズン)以降、しばらくは下位に低迷しながらも日本リーグに残留し続ける。第24回は7位となり日本リーグ出場チーム決定戦(入替戦)出場となるものの、セット率でNKKナイツに勝ち残留した。

6人制に移行してからも長らく『東レ九鱗会』として活動を続けてきたが、1991年、社内公募により、チーム名が現在の『東レアローズ』となった[1]

泉川正幸がエースとしてデビューした第26回日本リーグ(1992/93シーズン)でチームが躍進し、自己最高の3位に入る。

1994年に日本リーグに替わってVリーグが開幕。第1回(1994/95シーズン)はレギュラーラウンドを1位突破するが、決勝トーナメントで連敗し4位で終わる。以降チームはしばらく低迷するが、第5回で準優勝、第6回でも準優勝を果たした。

第8回Vリーグ(2001/02シーズン)では、レギュラーラウンドを1位突破するが、決勝でサントリーサンバーズにフルセットで敗れ、惜しくも初優勝を逃す。しかし、同シーズンの黒鷲旗大会では39年ぶりとなる優勝を果たした。

第9回Vリーグは1勝差でファイナルラウンド進出を逃して5位。大混戦となった第10回Vリーグは、10勝11敗で終えるもの、セット率で7位となり久々の入替戦出場となる(警視庁に勝って残留)。

入替戦出場の悔しさから「総力結集」のスローガンで2004/05シーズンに臨んだ[3]。第11回Vリーグで、開幕20連勝のリーグ新記録を達成する快進撃を見せ、圧倒的な成績でレギュラーラウンド1位となる。ファイナルラウンドで決勝進出を果たし、優勝決定戦でNECブルーロケッツに連勝して、ついに悲願の初優勝を遂げた。同シーズンの黒鷲旗大会でも決勝でNECを降し優勝。2冠を達成した。第12回Vリーグは6位で終えるもの、同シーズンの黒鷲旗で連覇を果たした。2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグより改称)で準優勝、2007/08シーズンも準優勝を果たす。

2008/09シーズンは、天皇杯で優勝。V・プレミアリーグでも決勝で堺ブレイザーズを破り2度目の優勝を果たした。女子も東レアローズが優勝し、2008/09V・プレミアリーグアベック優勝の快挙ともなった。2冠達成となり、史上初の3冠達成を目指して臨んだ黒鷲旗では、決勝でパナソニック・パンサーズに敗れ、惜しくも3冠はならなかった。

以降、そのパナソニックの躍進もありV・プレミアリーグ制覇から離れるが、しばらくは連続して4強入りを果たし、安定した成績を残す。2011年黒鷲旗で優勝。2011/12V・プレミアリーグはレギュラーラウンドを圧倒的な成績で1位突破し、決勝進出も果たすが、決勝でパナソニックにフルセットの末惜敗し優勝を逃している。2012/13シーズンもセミファイナルラウンド最終戦でパナソニックに敗れたことで決勝進出を逃し、篠田歩は当シーズン限りで引退する宇佐美大輔との最後の勝負に勝てなかったことを悔やんだ[4]

成績

主な成績

日韓Vリーグトップマッチ
  • 優勝 1回(2009年)
Vリーグ/プレミアリーグ
Vカップ
  • 優勝 1回(2001年)
全日本総合(6人制)
都市対抗/黒鷲旗全日本選抜
天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会
国民体育大会成年男子(6人制)
国民体育大会成年男子(9人制)

年度別成績

大会名 順位 参加チーム数 試合数 勝率
実業団リーグ 第1回 (1969/70) 3位 6チーム 10 4 6 0.400
第2回 (1970/71) 4位 6チーム 10 5 5 0.500
第3回 (1971/72) 優勝 6チーム 10 8 2 0.800
第4回 (1972/73) 準優勝 6チーム 10 7 3 0.700
第5回 (1973/74) 3位 6チーム 10 7 3 0.700
第6回 (1974/75) 優勝 6チーム 10 10 0 1.000
日本リーグ 第9回 (1975/76) 5位 6チーム 10 3 7 0.300
第10回 (1976/77) 5位 6チーム 10 2 8 0.200
第11回 (1977/78) 6位 6チーム 10 1 9 0.100
第12回 (1978/79) 6位 6チーム 10 0 10 0.000
実業団リーグ 第11回 (1979/80) 5位 6チーム 10 1 9 0.100
第12回 (1980/81) 4位 6チーム 10 3 7 0.300
第13回 (1981/82) 4位 6チーム 10 5 5 0.500
第14回 (1982/83) 準優勝 6チーム 10 6 4 0.600
第15回 (1983/84) 準優勝 8チーム 14 11 3 0.786
第16回 (1984/85) 準優勝 8チーム 14 11 3 0.786
第17回 (1985/86) 4位 8チーム 14 8 6 0.571
第18回 (1986/87) 3位 8チーム 14 11 3 0.786
第19回 (1987/88) 優勝 8チーム 14 14 0 1.000
日本リーグ 第22回 (1988/89) 6位 8チーム 14 5 9 0.357
第23回 (1989/90) 6位 8チーム 14 3 11 0.214
第24回 (1990/91) 7位 8チーム 14 4 10 0.286
第25回 (1991/92) 5位 8チーム 14 8 6 0.571
第26回 (1992/93) 3位 8チーム 20 11 9 0.550
第27回 (1993/94) 5位 8チーム 14 7 7 0.500
Vリーグ 第1回 (1994/95) 4位 8チーム 21 15 6 0.714
第2回 (1995/96) 5位 8チーム 21 11 10 0.524
第3回 (1996/97) 6位 8チーム 21 10 11 0.476
第4回 (1997/98) 7位 8チーム 21 5 16 0.238
第5回 (1998/99) 準優勝 10チーム 18 13 5 0.722
第6回 (1999/00) 準優勝 10チーム 18 12 6 0.667
第7回 (2000/01) 3位 10チーム 18 13 5 0.722
第8回 (2001/02) 準優勝 10チーム 18 14 4 0.778
第9回 (2002/03) 5位 8チーム 21 12 9 0.571
第10回 (2003/04) 7位 8チーム 21 10 11 0.476
第11回 (2004/05) 優勝 8チーム 28 25 3 0.893
第12回 (2005/06) 6位 8チーム 28 15 13 0.536
V・プレミアリーグ 2006/07シーズン 準優勝 8チーム 28 22 6 0.786
2007/08シーズン 準優勝 8チーム 28 17 11 0.607
2008/09シーズン 優勝 8チーム 28 20 8 0.714
2009/10シーズン 3位 8チーム 28 19 9 0.679
2010/11シーズン 3位 8チーム 24 15 9 0.625
2011/12シーズン 準優勝 8チーム 21 19 2 0.905
2012/13シーズン 3位 8チーム 28 17 11 0.607
2013/14シーズン 4位 8チーム 28 15 13 0.536

選手・スタッフ

選手

テンプレート:バレーボールのポジション 2014年6月版[5][6]

背番号 名前 シャツネーム 国籍 P 備考
1 富松崇彰 TOMIMATSU テンプレート:Flagicon 日本 MB
3 伏見大和 FUSHIMI テンプレート:Flagicon 日本 MB
5 米山裕太 YONEYAMA テンプレート:Flagicon 日本 WS 主将
6 渡辺俊介 WATANABE テンプレート:Flagicon 日本 L 副将
7 相澤寿 AIZAWA テンプレート:Flagicon 日本 MB
8 瀬戸口竜矢 SETOGUCHI テンプレート:Flagicon 日本 WS
9 梅野聡 UMENO テンプレート:Flagicon 日本 S
10 星野秀知 HOSHINO テンプレート:Flagicon 日本 WS
11 王金剛 WANG テンプレート:Flagicon 日本 S
12 デヤン・ボヨビッチ DEKI テンプレート:SRB OP
13 ファンの皆様 サポーター
14 佐野翔 SANO テンプレート:Flagicon 日本 WS
15 李博 LEE テンプレート:Flagicon 日本 MB
18 鈴木悠二 SUZUKI テンプレート:Flagicon 日本 WS
19 黒木康太郎 KUROKI テンプレート:Flagicon 日本 MB
20 大木貴之 OHKI テンプレート:Flagicon 日本 WS
21 藤井直伸 FUJII テンプレート:Flagicon 日本 S
22 井手智 IDE テンプレート:Flagicon 日本 L

スタッフ

2014年6月版[5][7]

役職 名前 国籍
部長 吉田晴彦 テンプレート:Flagicon 日本
副部長 矢島久徳 テンプレート:Flagicon 日本
副部長 沓澤豊 テンプレート:Flagicon 日本
監督 小林敦 テンプレート:Flagicon 日本
コーチ 篠田歩 テンプレート:Flagicon 日本
コーチ 山本太二 テンプレート:Flagicon 日本
フィジカルコーチ 岡野憲一 テンプレート:Flagicon 日本
メディカルトレーナー 丸山浩司 テンプレート:Flagicon 日本
通訳 竹内淑恵 テンプレート:Flagicon 日本
マネージャー 近藤茂 テンプレート:Flagicon 日本
総務 青木美穂 テンプレート:Flagicon 日本

在籍していた主な選手

テンプレート:See also テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2

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テンプレート:Col-end

関連項目

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:東レ・アローズ (男子バレーボール) テンプレート:Vリーグ男子

テンプレート:日本の男子バレーボールチーム
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. 5.0 5.1 テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web