クーゲルブリッツ

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テンプレート:Infobox Weapon クーゲルブリッツ (Kugelblitz) は、第二次世界大戦中のドイツ国防軍対空戦車。Gerät556(556器材)またはFlakpanzerwagen604/4(対空戦車604/4)とも呼ばれた。ドイツ語でクーゲルは「球」、ブリッツは「電光」の意味である(実際に球電光という自然現象がある)。

概要

メーベルワーゲン等の戦車の車体に対空機関砲をそのまま載せただけの対空戦車と異なり、UボートXXI型への搭載を予定(実際に間に合っていない)していた密閉式の303号3cm連装高射機関砲塔を転用することを計画した。

これに使われるラインメタル社の3cm MK103機関砲は航空機用で、ベルト給弾式で連装化により650発/分の発射速度を発揮した。砲塔は揺動式で、横旋回を行う外郭と、俯仰を行う機関砲と乗員を収めた部分が分離している(つまり仰角90度での対空射撃時には、射手は真上を向いている)。

ターレットリングはより直径の大きいティーガー I のものに変更されており、これにより操縦手・無線手ハッチが前面装甲に対し平行だったものが斜めに変更され干渉を避けていた。

本車は暫定的に製作された各種対空戦車の後継として、1944年4月から開発開始、同年9月に量産が始まる予定であった。しかし開発作業は遅れ、試作車2輌の完成は1945年2月にズレこんだ。

3月から月間30輌の量産が計画されたが、当初車台として用いるはずだったIV号戦車またはIII/IV号自走砲車台の生産中止が決まり、これを38(t)車台の発展型である38(d)車台に変更する等再び遅延、結局量産化は計画倒れに終わった。これにより余った車体の完成分7輌は、オストヴィントに転用された。なお1944年10月に展示用が1台、ドイチェ・アイゼンヴェルケにて1945年3月に2輌が完成、西部戦線またはベルリンの防空戦に投入されたとされるが、具体的な戦歴は残っていない。

構造

1944年1月27日、アルケット社は軍需省に対し、Uボート用砲塔をIV号戦車にそのまま転用することはできず、戦車用に改修する必要があることを回答した。そこで砲塔はダイムラーベンツ社にて設計されることとなった。メーベルヴァーゲンやヴィルベルヴィントが不完全な装甲や砲塔しか持たないのと一線を画し、この砲塔は密閉型(下部は開放されている)にして球形の砲塔であり、最大20mm、上部10mmから18mmの装甲で覆われていた。さらに砲塔の全周を包む形で30mmの装甲板が設置されていた。砲塔リング径はティーガーIと同じ1,900mm幅である。車体に用いられたIV号戦車にもターレット径の変更、無線手・操縦手用ハッチの変更が必要になった。携行弾数は1,200発であり、砲手席の下に600発のベルトリンクを砲塔内部の弾薬庫に収めた。車長は砲塔の後方、機関砲の後尾に位置し射撃を指揮した。砲手は機関砲の側面に、向かい合わせに一人ずつ位置し、射撃はフットペダルで行った。

ターレットに載せられた砲塔外殻は水平方向の旋回を行うと同時に、内郭の球形砲塔を支持する役割を持っている。このためこの外殻部には両側面に砲塔と俯仰軸となる接合点を持つ。内部の球形砲塔は俯仰を行い、乗員は砲塔の動きに合わせて姿勢が変わった。

砲は口径30mmの強力な航空機関砲MK103を並列に配置した。砲塔により360度の旋回が可能であり、旋回速度は毎秒25度であった。俯仰は-7度から+80度まで可能、俯仰速度は毎秒20度である。旋回はDVL社製の油圧駆動と人力によった。MK103の発射速度は425発毎分であった。機関砲の先端には多孔式マズルブレーキが斜めに傾けて装着されている。これはブラストによる地上の塵の巻き上げを防止しようとしたものであった。機関砲の周囲は薄い金属性のカバーで防護され、乗員が接触しないよう配慮されている。

車体はIV号戦車を用いたが、木製のモックアップでは量産型と車体の戦闘室前部形状がやや異なる。

参考文献

  • 佐藤光一「ドイツ対空戦車」『ドイツ対空戦車』グランドパワー10月号、デルタ出版、1999年。


関連項目

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