ジャック・ティボー
ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, 1880年9月27日 - 1953年9月1日)は、フランス出身のヴァイオリニスト。フランコ=ベルギー派の代表格として知られ、フリッツ・クライスラーと並び称された。
ボルドー市の音楽教師の息子として生まれたティボーは早くからヴァイオリンの才能を示し、8歳でリサイタルを開き、13歳からパリ音楽院でマルタン・マルシックに学んだ。
1896年にパリ音楽院を首席で卒業したティボーは、生活費のためにパリのカフェでヴァイオリンを弾いていたところを指揮者エドゥアール・コロンヌの目にとまり、コロンヌ管弦楽団に招かれる。以後たびたび独奏者として活躍して名声を高めた。
1905年にはアルフレッド・コルトー、パブロ・カザルスとともに三重奏団を結成(カザルス三重奏団)。最初の公開演奏会は1906年12月28日にリール市で行われた。
1923年、初来日。
1936年、2度目の来日。この来日時に日本ビクター東京吹込所で録音を行ったほか、JOAK放送局からラジオ放送の演奏を行った。
第二次世界大戦中はフランスにとどまり、ドイツでの演奏を拒否した。
1943年にはマルグリット・ロンと共同で音楽コンクールを開催、以後ロン=ティボー国際コンクールとして若手音楽家の登竜門となる。
1953年、3度目の来日途中、乗っていたエールフランスのロッキード コンステレーション(機体記号F-BAZZ)がニースへのファイナルアプローチの最中に、バルスロネット近郊のアルプス山脈に衝突[1]。事故調査の結果、CFITとされたこの事故により41名の乗員乗客と共に死去した(残る42人は重軽傷を負った)。奇しくも、1949年に死去したジネット・ヌヴーと同じエールフランスの同じ機種による事故で命を落とすこととなってしまった(ティボー自身は、ヌヴーの訃報の際に「自分もかくありたい」と発言していた)。彼が愛用していた1720年製ストラディヴァリウスはこの事故で失われてしまった[2]。