于吉

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テンプレート:三国志の人物 于 吉(う きつ、?-200年)は、中国後漢末期の道士徐州琅邪郡の出身。

先祖以来、東方に萬居をし、呉会(呉郡・会稽一帯)を行き来して精舎(道教徒の集まる教会)を建て、香を焚き道教経典を誦読し、符や神聖な水を用いて病気の治療を行っていた。呉会の人々には彼を信仰するものが多かった。 順帝の時代、薬草を採りに山に入ったところ、曲陽の水辺で白い絹に朱の罫を引いた神書『太平清領道』百余巻を手に入れたとされる。

三国志演義

小説『三国志演義』では、孫策許貢から受けた怪我の療養中、袁紹の元から使者として訪れた陳震を持て成すために、呉郡の城門の楼上で部将や賓客たちと宴会を開いている時に登場する。

于吉は丁度そのとき、盛装をしで絵が描かれた小さな函を地に引きずりながら、その門の下を小走りに通り過ぎようとする。彼は「人々の病を治すありがたい仙人」として知られていた為、部将や賓客の3分の2を超える者までもが、楼を降りて于吉を出迎え礼拝してしまう。このため、宴会係の役人が大声を挙げて禁じようとするが、それでも止めさせられない。これを見た孫策は、このような妖術使いは人心を惑わせる基だとして、直ちに命令を出して于吉を捕らえてしまう。于吉を信仰する者たちは、皆妻女たちを孫策の母親の元にやって、彼の助命を嘆願する。このため孫策は呂範の献策を用い、于吉に「干ばつが続いているから雨を降らせてみろ。降らせることができたら命を助けてやる」といって、于吉に祈祷を行わせる。

全く雨が降らないことに業を煮やした孫策が、于吉の周りに積んだ柴に火をつけ焼き殺そうとすると、忽ち激しい雷雨が起こったため、部将たちはこれで于吉が助けられると安心する。しかし孫策は「天候が人に動かせるわけが無い」といい、于吉を殺してしまうのである。しかし皆于吉が死んだとは信じず、また市中に晒しものにしておいた于吉の遺体も、その夜の間に消えてしまうと描かれている。

于吉が死んで以後、孫策はよく于吉の幻影を見るようになる。母の勧めで道観に行くと、香の煙りの中にも于吉が現れる。その後もこのようなことが引っ切り無しに起こり、ある日疲れ果てた孫策がやつれた自分の顔を見ようと鏡を覗くと、何と死んだ筈の于吉の姿が見える。しかし後ろを振り返っても誰もいない。そこで孫策が鏡を床に投げつけて絶叫すると、体中の傷口が裂けて、まもなく死んでしまうということになっているのである。

なお『演義』の話は、『捜神記』の記事を元にしている。