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[[ファイル:Saimyoji Kora Shiga pref12bs4592.jpg|thumb|right|250px|[[西明寺 (甲良町)|西明寺]]本堂(滋賀県、国宝) 鎌倉時代初期 側柱を長押で固め、蔀戸を多用した典型的な和様仏堂]] [[ファイル:Ryosenji Hondo Nara01.jpg|thumb|right|250px|[[霊山寺 (奈良市)|霊山寺]](奈良県、国宝)弘安6年(1283年)伝統的な和様を順守した保守的な建築。]] [[ファイル:Ryosenji Nara Japan31s3.jpg|thumb|right|250px|霊山寺本堂の細部 組物は尾垂木付きの二手先とする。頭貫の木鼻には大仏様の要素がみられる]] '''和様建築'''(わようけんちく)とは、[[鎌倉時代]]に中国から伝わった建築様式([[大仏様]]、[[禅宗様]])に対して、それまで日本で寺院建築に用いられてきた寺院建築の様式を指す。単に'''和様'''(わよう)とも呼ばれた場合には和様建築のことを指す場合もある。 == 概要 == もともと寺院建築の様式は中国から伝わってきたものであるが、[[平安時代]]の[[国風文化]]の時代に日本人好みに洗練されていった。大寺院では規模の大きな仏堂もあるが、住宅風に柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間の仏堂も造られた。鎌倉時代に中国から新たな様式が伝わってくると、従来の様式との違いが意識されるようになり、やがて和様という言葉が生まれた。 中世においては、禅宗寺院では禅宗様、密教寺院には和様(一部に大仏様を取り入れた折衷様)と宗派と建築様式の区分もあったが、近世に入ると様式の折衷化が進み、密教寺院に一部禅宗様の要素が取り入れられることもあった。 == 和様の特徴 == *柱の上部同士を補強するため、[[長押]]を打つ *組物の間に[[蟇股]](かえるまた)という部材を置く *柱は細く、天井を低めにしたものが多い *床を張り、[[縁側]]を造る *床下に[[亀腹]]を築く == 代表的な建造物 == *[[平等院]]鳳凰堂 *[[室生寺]]五重塔 *[[当麻寺]]本堂 *[[浄瑠璃寺]]本堂 *[[金剛峯寺]]不動堂 *[[延暦寺]]根本中堂 *[[富貴寺]]大堂 *[[一乗寺]]三重塔 <gallery> ファイル:Myotuji Hondo 1.jpg|[[明通寺]]本堂(福井県、国宝)正嘉2年(1258年) 正面柱間はすべて蔀戸とし、外観は和様だが、内部には禅宗様、大仏様を取り入れた折衷様建築である。 ファイル:Tyoujuji 2.JPG|[[長寿寺 (湖南市)|]]本堂(滋賀県、国宝) 平安時代末期ないし鎌倉時代初期 ファイル:Ryosenji Nara Japan30s3.jpg|霊山寺本堂の蟇股 ファイル:Ryosenji Nara Japan32n.jpg|霊山寺本堂の蔀戸 </gallery> == 参考文献 == *『週刊朝日百科 日本の国宝』7号、朝日新聞社、1997(霊山寺) *『週刊朝日百科 日本の国宝』80号、朝日新聞社、1997(西明寺、長寿寺) *『週刊朝日百科 日本の国宝』84号、朝日新聞社、1997(明通寺) == 関連項目 == *[[和様]] *[[建築史]] *[[日本建築史]] {{DEFAULTSORT:わよう}} [[category:寺院建築]] [[category:日本の建築様式]] [[en:Wayō]]
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