駒崎幸一

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テンプレート:Infobox baseball player 駒崎 幸一(こまざき ゆきいち、1959年8月30日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

川口工業高校時代から強打の選手として注目されており、テンプレート:By夏の甲子園埼玉県予選決勝で熊谷商を降し、チームを甲子園初出場に導く原動力となった。甲子園では2回戦(初戦)で智辯学園に敗退。その年のドラフト候補としても注目されていたが指名はなく、社会人の日本通運に進んだ。高校卒業でプロ入りしなかった理由としては、甲子園の初戦でチームが大敗し自分も活躍できなかったことから、プロ入りに対する自信がなくなったことが一因だった。日本通運ではテンプレート:By都市対抗で活躍、テンプレート:Byの第4回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、日本の準優勝に貢献した。

強打の外野手として期待され、テンプレート:Byドラフト外西武ライオンズに入団。入団1年目から二軍ではレギュラーとなり、テンプレート:Byにはイースタン・リーグで23本塁打を放ち本塁打王のタイトルを獲得するなどしたが、アマチュア時代から守備に不安があったことが一軍昇格の障害となった。テンプレート:Byはアメリカの1Aサンノゼ・ビーズに野球留学をしている。野球留学から帰国後の翌テンプレート:Byは60試合に出場し、7月28日の対阪急戦で佐藤義則からプロ初本塁打を放つなどの活躍を見せたが、守備力が劣ることから一軍定着できず、結局これ以降、この年を超える成績は挙げられないまま終わった。同年8月12日の対ロッテ戦で1イニング3失策の外野手としてのワースト記録を作っており、その内の一つは、当時札幌市円山球場のグラウンドは凸凹が多く、打球が駒崎の前で突然はねた。

テンプレート:By開幕直前に村岡耕一河野誉彦との交換トレードで、秋元宏作青山道雄とともに横浜大洋ホエールズに移籍。テンプレート:By限りで引退。

2011年3月に三浦洋河野博文とともに、群馬県高崎市に株式会社ドリームチームを設立し、農林業およびスポーツ支援活動をしている。

1984年5月29日の対南海戦で、三塁手の立石充男による隠し球に引っ掛かってアウトになった場面は、プロ野球珍プレー・好プレー大賞で繰り返し流された。

現埼玉の野球塾ゼロベースボールのコーチ。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 西武 6 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 60 127 117 14 33 6 1 3 50 12 2 1 0 1 6 0 3 18 3 .282 .331 .427 .758
テンプレート:By2 16 20 19 2 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .105 .150 .158 .308
テンプレート:By2 50 56 55 1 13 2 0 0 15 3 0 0 0 0 1 0 0 9 1 .236 .250 .273 .523
テンプレート:By2 大洋 24 25 24 1 5 0 0 0 5 2 0 0 0 0 0 0 1 6 1 .208 .240 .208 .448
テンプレート:By2 18 17 16 1 5 1 0 0 6 2 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .313 .313 .375 .688
通算:6年 174 252 238 19 58 10 1 3 79 19 2 1 0 1 8 0 4 44 5 .244 .279 .332 .611

背番号

  • 29 (1981年 - 1987年)
  • 20 (1987年 - 1988年)
  • 45 (1990年 - 1991年)

関連項目

外部リンク