避雷針

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年7月27日 (日) 07:51時点におけるKazov (トーク)による版 (アジア: 建築年はロシア語版から)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索
ファイル:Bliksemdraad.jpg
草葺き屋根の稜線に避雷用の仕掛けが施してある。
ファイル:Bielsko-Biała Mikuszowice kosciol.jpg
木造の教会。避雷針とそこから地面まで延びるケーブルが見える。
ファイル:Prokop Divis rodny domek edit.jpg
Václav Prokop Diviš が発明した "Machina meteorologica" は避雷針のような働きをする。

避雷針(ひらいしん、テンプレート:Lang-en-short)は建築物落雷から保護する仕組みのひとつ。

地面と空中との電位差を緩和し落雷の頻度を下げ、また落雷の際には避雷針に雷を呼び込み地面へと電流を逃がすことで建物などへの被害を防ぐ。そのため、「雷を避ける針」という表記ではあるが、実際には必ずしも雷をはねのけるものではなく、字義とは逆に避雷針へ雷を呼び寄せる、いわば「導雷針」ともなる。

概要

避雷針は先端を尖らせた棒状の導体であり、保護対象とする建築物などの先端部分に設置する。落雷時にはこの部分に稲妻を呼び込み、接地に導くことによって、当該建築物などの被害を防ぐ。避雷針によって形成される保護範囲、すなわち落雷による被害が生じなくなる(極めて生じにくくなる)範囲を「防護範囲」(Lightning Protection Zones)という。

避雷針の効果、すなわち避雷針によって形成される「防護範囲」に落雷が極めて生じにくくなることは確かであるが、それが避雷針が積極的に雷を導く「導雷針」であるためなのか、その発明以来言われてきた、大地に蓄積された電荷を少しずつ空中に放出し電位差を緩和、落雷を生じにくくする、すなわち「避雷針」であるためなのか、あるいはその両方であるのか、それとも全く別の理由によるものなのか、2011年現在でも定かではない。大阪大学河崎研究室と日本放送協会(NHK)が2010年に世界で初めて落雷の詳細な動画撮影に成功し、従来考えられてきた落雷の実態を証明したが、実際、雷雲から進行してくる数多くの電流路のうち、落雷、すなわち大地と結合するのはそのうちの1ないしは数個であり、なぜそのようなことになるのかが謎であることがより明確になったためでもある。河崎は撮影成功後、この謎が解明されたならば、雷を目的の場所(安全な場所)に確実に導くことができるようになると語っている。現在の日本工業規格(JIS)などの「防護範囲」は「導雷針」の考え方によるものであるが、事実、避雷ではなく最も危険な落雷を避雷針に導き、雷電流を大地に流すことは有効である。

最近では、避雷針を改良し、あらかじめ雷を呼び寄せる雷ストリーマを放出し、広い範囲をカバーできる避雷システムが開発されている[1]。また、「受雷針」という名前で、突針の先端を改良し、効果を高めたものも開発されている[2]

避雷針には落雷時、雷の大電流が到達する。このためそれに耐えうる接地線を避雷針本体から地面まで引き下げ、地中に埋設した銅板などに接続しなければならない。内線規程では、銅板などの接地抵抗値は10Ω以下(専用の接地極の場合は30Ω以下)と規定されているが、これにかかわらず、できるだけ低い接地抵抗値にすることが望まれる。

防護範囲を広くするために、避雷針だけでなく棟上げ導体(長い棒状の導体を屋根などにつける)などを併用する場合もある。これは大きなビルディングや高さのある文化財など、避雷針のみでは十分な防護範囲を得難い建築物などに対して行われる。

日本においては建築基準法により20メートルを超える建築物には避雷針(避雷設備)の設置が義務付けられている。

防護範囲

避雷針の防護範囲を決める方法は、保護できる角度内に建物が収まっているかを見る「保護角法」があり、旧JIS A 4201では、避雷針の先端から頂角45度または60度の円錐形内に収まる部分が、落雷を免れる範囲としていた。しかし、2003年にIEC規格に合わせてJIS A 4201が改訂され、大きな建物などでは、円錐状でなく回転球体法によって求められるラッパ状の部分を、落雷から免れる範囲とするようになった。

ただしこの範囲は、「この中では絶対に落雷がない」というものではない。また避雷針そのものには落雷するため、避雷針やこれに接続された導線などに触れたり、あるいはその直近に居ると雷撃を被り、死亡することがある。その他、避雷針やこれに接続された導線の直近に電気機器などを配置すると、これに流れる雷電流そのものの分流や電磁誘導作用により破壊されることがある。

避雷針への落雷時、落雷のタイプや規模、接地の種類、大地抵抗率などの条件に関わらず、避雷針の接地極より2.5メートル範囲内の大地の電位勾配は極めて急であり、少なくともこの範囲内は極めて危険である[3]。すなわち避雷針への落雷時、避雷針システム及びその周囲には高い電圧が発生することに十分な注意が必要である。屋外地上部で埋設標などを頼りに、避雷針システムより十分な距離を確保したつもりでも、避雷針に接続されている導線、まして接地極の大きさ、広がりなどはおよそ見た目にはわからず、安全ではないので、雷に遭った時には、屋外に形成される避雷針の防護範囲に避難するのではなく、避雷針の防護範囲内に収められている建物内に直ちに避難する。

歴史

より高い建物が建設されるようになるにつれて、落雷の脅威も大きくなっていった。落雷はほとんどの材質(石、木、コンクリート、鋼)の建築物に損傷を与える。大電流が流れることで高温になり、特に水があると高温になりやすく、火事の原因となったり、水蒸気爆発を起こしたり、建物の強度を失わせたりする。

ヨーロッパ

ヨーロッパの都市では教会の塔が最も背の高い建物で、よく落雷の被害に遭っていた。キリスト教の教会では早くから、祈りによって落雷の被害を防ごうとした。聖職者は次のように祈った。

"temper the destruction of hail and cyclones and the force of tempests and lightning; check hostile thunders and great winds; and cast down the spirits of storms and the powers of the air."
(日本語訳)「雹と竜巻の破壊、暴風雨と稲妻の力を和らげたまえ。冷酷な雷鳴と大いなる風を妨げたまえ。嵐の精霊と大気の力を鎮めたまえ」

Peter Ahlwardts ("Reasonable and Theological Considerations about Thunder and Lightning", 1745) は、稲妻を避けるなら教会の中や近く以外の場所を探すよう助言している[4]。なお、ヨーロッパでも Václav Prokop Diviš が1750年から1754年に避雷針を独自に発明している。

アジア

ロシアのネヴィヤンスクの斜塔: Невьянская башня: Leaning Tower of Nevyansk)の屋根には、先端にトゲのある球体がついた金属棒が立っており、避雷針ではないかといわれている。その建設は1721年から1745年までの間なので、もしこれが避雷針ならベンジャミン・フランクリンより先にロシアで避雷針が発明されていたことになる。屋根の上に金属棒を立てた意図と目的は謎である。

最古の避雷針的なものは、スリランカアヌラーダプラ王国にあり、千年以上前のことである。そのシンハラ人の王がストゥーパや先進的な建築物の建設を支配しており、必ず建物の頂上部に金属の先端具を取り付け、雷をそこに誘導するようにした。テンプレート:要出典範囲

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国では、ベンジャミン・フランクリン電気について画期的な実験をし、その過程で1749年に避雷針を発明した。フランクリンは有名な凧の実験を行う数年前から避雷針について考えていた。その実験を行うことになったのは、実のところフランクリンがフィラデルフィアChrist Church が完成するのを待つのに飽きたため、その教会の塔の頂上に避雷針を設置してみることができたからである。教会側はそのような金属棒を取り付けることに対して「神意に反している」として若干抵抗した。実際、ボストンOld South Church の聖職者 Thomas Prince は「地震は神の御業であり、神の正しい不満のしるし」と題した1755年の説教で、雷を避雷針で地面に誘導してやるとそれが地中に蓄積されて地震が起きるという意味のことを述べている[5]

フランクリンは、屋根にはを防ぐ以外に宗教的問題はなく、雷も巨大な電気スパークという自然現象であって、雨を防ぐのとなんら違いはないと反論した。フィランソロピーの考え方から、フランクリンはこの発明の特許を取得しなかった。

19世紀になると、避雷針には装飾的意味も加わるようになった。避雷針には装飾としてガラスの球が飾られるようになった[6](このガラス製の球はコレクションの対象になっている)。このような装飾用のガラス球は風見鶏にも使われていたものである。ただし、このガラス球にはそれが壊れているかどうかで落雷があったかどうかがわかるという役割があった。嵐の後、避雷針のガラス球が壊れていれば、その建物の所有者は内部や避雷針や導線に損傷がないかチェックする必要がある。

ガラス球は船などで落雷を防ぐのに使われていた。これは科学的には間違っているが、注目に値する。ガラスは不導体であり、滅多に雷の直撃を受けない。そこで先人達はガラスに雷を避ける力があると考え、木製船の一番高いマストの先端にガラス球を設置した。実のところ落雷の直撃を受けることは滅多にないため、確証バイアスによってガラス球で落雷を防ぐことが可能だと思い込み、フランクリンの発明後すぐに船用避雷針ができても、ガラス球は使われ続けた。

初期の船用避雷針は落雷が予想される天候になったときに伸ばして使う方式だったが、あまりうまく機能しなかった。1820年、William Snow Harris が木製帆船向きの避雷針を発明した。1830年から試験が行われ成功したものの、イギリス海軍は1842年までそのシステムを採用しなかった。そのころには既にロシア帝国海軍でもそのシステムを採用済みだった。

ニコラ・テスラテンプレート:US patent は避雷針の改良である。この特許はフランクリンのオリジナルの理論の欠点を補うものだった。その欠点とは、先端の尖った避雷針は実際その周囲の空気をイオン化し、空気を電導性にするため、落雷の危険性が増すというものである。この特許を取得してしばらく経った1919年、テスラは The Electrical Experimenter 誌に "Famous Scientific Illusions" と題した記事を書いた。その中でフランクリンの避雷針の論理を説明し、テスラ自身の手法と装置の改良点を解説している。(このテスラの避雷針には上述の防護範囲を拡大するはたらきがあることから、今日なおも新たな改良が加えられ、実用に供されている[7]。)

デュポンの爆薬工場は周囲に松の木を植えていた。松葉は尖っていて、松の上方の葉の先端は地面よりも電位が高く、そのため雲との電位差が若干小さくなる。これによって松林に囲まれた工場の敷地内は単位面積あたりの落雷数が少なくなっていた。1950年代、デュポン社ではニトログリセリンを作る建物からそれを包装する建物へ運ぶ際に "Angel Buggies"(天使の乳母車)と呼ぶ乗り物を使っていた。爆薬工場の従業員は落雷の可能性に非常に敏感だった[8]

1990年代、ワシントンD.C.アメリカ合衆国議会議事堂のドーム頂上にある自由の女神像を再建したとき、避雷針も設置し直された[9]。この像は複数の素材でできていて、頂上部にプラチナが使われている。ワシントン記念塔にも複数の避雷針がある[10]。ニューヨークの自由の女神像には雷が落ちたことがあるが、避雷針設備によって事なきを得た。

日本

日本の避雷針の歴史は、1872年(明治5年)の富岡製糸場に始まるらしい。

テンプレート:要出典範囲によって、日本の避雷針の第1号は金沢市に存在する前田利家を祀る尾山神社の神門だとされていた。テンプレート:いつ範囲発見された神門の陳札によると、1875年(明治8年)11月25日の竣工で、設計竣工は工匠長津田吉之助避雷器工手は今村吉助と銘記されていたという。これをもって日本の避雷針設置は明治8年とされていたようである。

ところが、富岡製糸場の建設中の写真には、鉄製煙突の最上部に鍋釣のような台座に避雷針が付いている。富岡製糸場の主要建造物が竣工したのは1872年(明治5年)7月頃なので、富岡製糸場の避雷針のほうが尾山神社の避雷針よりも古いことが確認できる。

大工棟梁(工匠長)の津田吉之助が、富岡製糸場の避雷針を尾山神社にもたらしたようである。津田は、石川県が製糸場を金沢に建設するにあたり、その範を竣工直前の富岡製糸場に求め、1872年(明治5年)6月ごろに富岡製糸場に派遣されている。この概略については次のとおりである。

1872年(明治5年)の春、第2代金沢市長によって計画された金沢製糸場の設備は、政府の事業として建設中であった富岡製糸場の器械や建造物を模造することになっていた。この任務を託されていたのが津田吉之助と太田篤敬であった。加賀藩の兵器製造所(鍛冶場)に勤めていた太田篤敬は、金属機械の製造の経験をもち、蒸気機関の製造に興味をもっていたので、機関部と金属機械の部門を担当し、津田吉之助は器械の木部と建造部を担当した。 彼らは、県庁の添書を持って富岡製糸場へ向かった。 富岡製糸場は、フランスから雇った技師の指導で、機械の大部分の備え付けも終わり、操業間近であった。 津田吉之助と大田篤敬の2人は県庁の添書のお陰で視察を許され、関係者は親切に教えた。担当部分の10分の1の図を作製するために1週間滞在した。これを基に富岡式100人繰り金沢製糸場を建て、1874年(明治7年)8月16日に操業を開始した。この金沢製糸場は、富岡製糸場に次ぐものである。(テンプレート:要出典範囲による)

これによって、津田吉之助は富岡製糸場の建物の縮尺図を作成し、それを持ち帰って金沢製糸場を建ち上げ、その後で尾山神社神門の建設を行ったという系譜が分かる。神門の避雷針は、富岡製糸場の避雷針に倣って取り付けたといえよう。

なお、避雷針に除雷針という表現を用いたのは、富岡製糸場だけのようである。

脚注・出典

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 北川信一郎『雷と雷雲の科学-雷から身を守るには』森北出版,2001年1月,ISBN 978-4-627-29081-5

関連項目

外部リンク

テンプレート:地球電磁気
  1. イオン放散式防雷システム
  2. 光産業株式会社
  3. 「信号保安設備の雷害発生メカニズムと対策」 第213回 鉄道総合技術研究所月例発表会 新井英樹
  4. Seckel, Al, and John Edwards, "Franklin's Unholy Lightning Rod". 1984.
  5. Two Boston Puritans on God, Earthquakes, Electricity, and Faith
  6. "Antique Lightning Rod Ball Hall of Fame". Antique Bottle Collectors Haven. (glass lightning balls collection)
  7. サンコーシャ 「パラキャッチ」
  8. Zipse, D., Advancement of lightning protection and prevention in the 20th century. Industry Applications Magazine, IEEE, Volume 14, Issue 3, May-June 2008 Pg 12 - 15.
  9. Statue of Freedom
  10. The Point of a Monument: A History of the Aluminum Cap of the Washington Monument: The Functional Purpose