茂山忠三郎

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茂山 忠三郎(しげやま ちゅうざぶろう)は、狂言大蔵流の名跡。当代で四世を数える。

初世

1813年11月10日 - 1887年10月27日

京都出身。八世・茂山千五郎の弟子でのちに大蔵虎文の弟子となる

目が不自由であった。

2世

1848年11月19日 - 1928年8月21日

京都小川上立売出身。本名は。初世の三男で最初の名を吉次郎。

3世

1895年11月28日 - 1959年7月29日

京都出身。本名は茂山良一。1900年「靱猿」の猿役で初舞台。1932年に茂山忠三郎襲名。

4世

茂山 忠三郎(しげやま ちゅうざぶろう、本名:茂山 倖一(しげやま こういち)、1928年4月3日 - 2011年8月20日[1]

京都市出身。(四世・茂山忠三郎倖一) 三世・茂山忠三郎の次男であり、父に師事した。1949年立命館大学専門部文学科卒業。1965年茂山忠三郎襲名。

日本能楽会会員(重要無形文化財総合指定)。「忠三郎狂言会」主宰。

1933年に、「業平餅」の立衆(稚児)で初舞台を踏む。1948年、「釣狐」披。1992年、舞台歴60周年記念公演を達成。2000年にはオーストラリア公演なども行う。

実子には茂山良暢梅園紗千宝塚歌劇団卒業生85期生)がいる。

2011年8月20日、結腸がんのため京都市内で死去。83歳没[1]

主な受賞歴

脚注

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  1. 1.0 1.1 時事ドットコム:大蔵流狂言師の茂山忠三郎氏死去

外部リンク

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