石田敦子 (漫画家)

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テンプレート:Sidebar with collapsible lists 石田 敦子(いしだ あつこ、1963年8月9日 - )は、日本アニメーターキャラクターデザイナー漫画家イラストレーター広島県福山市出身[1]血液型A型[1]。別名義(アダルト作品用)に伊集院 マリ子(いじゅういん まりこ)がある。

プロフィール・作風

高校1年生当時、安彦良和が表紙を描いたアニメ誌『アニメージュ』を書店で見かけたのがアニメ業界を志したきっかけ。高校卒業後は福祉関係の専門学校に入学するが4ヶ月で中退し、1983年1月にアニメ制作会社「カナメプロダクション」へ入社。アニメーターの金田伊功は憧れの存在で、カナメプロではいのまたむつみに影響を受けたと語る。

1988年にはカナメプロ消滅に伴い、フリーランスへ転向。作画監督は『伝説の勇者ダ・ガーン』、キャラクターデザインは『勇者特急マイトガイン』がそれぞれ初担当作品。『勇者特急マイトガイン』の仕事で注目され、アニメ雑誌で特集を組まれる人気アニメーターになった。

アニメーター、アニメーション監督の大張正己は元夫。南町奉行所を辞めた大張の新たな拠点「スタジオG-1」の立ち上げにも参加していた。大張との離婚の経緯は自身の単行本『りこん猫』に記されているが、作中に大張の名前や顔などを出して良いものかと悩み、この時、既に離婚していた大張に「大丈夫だろうか?」と相談したところ「別に問題ないよ」とあっさり返され、逆に石田の方が拍子抜けしてしまったというエピソードがある(作中では「O君」とイニシャル表記になっている)。

プロ野球球団の広島東洋カープのファンで、野球に博識な伊集院光を神格化している。代表作の一つである『球場ラヴァーズ』が縁で、2013年8月28日MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で始球式を行っている[2]

2000年以降はアニメーターとしての一線からほぼ退いており、漫画家としての活躍が目覚ましい。漫画家としては1980年代以前の少女漫画の影響が強く、ざっくりとした荒い描線と、リリカルで重たいストーリーが強い特徴となっている。

作品

テレビアニメ

OVA

劇場アニメ

実写映画

  • ゴンドラ(1986年)※劇中アニメ、線画トレース

ゲーム

漫画

  • 漫画短編集
    • 姉さんゴーホーム(2009年)講談社

画集

  • 石田敦子画集(1995年)ムービック
  • フラワリー・オレンジ・ペコ 石田敦子画集おかげさまで2(1998年)ムービック

挿絵等

参考資料

  • 「マイトガインを華麗に彩る石田敦子の世界」『アニメージュ』1993年11月号、徳間書店、pp.14-21
  • 「キャラクタデザイナーの肖像 石田敦子」『アニメージュ』1994年4月号、徳間書店

脚注

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外部リンク

  • 1.0 1.1 石田敦子ホームページ プロフィール2011年1月10日閲覧
  • 『球場ラヴァーズ -私を野球につれてって-』第2巻P162に掲載された「始球式のこと」によれば、4月にも球団側から打診があったものの、自分自身が目立つことは嫌だということで断っていた。しかし少年画報社サイドが「ムリにでもやらせなきゃ」ということで、作者自身の意見を聞かずに実現させた経緯がある。