益川満育

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年3月29日 (土) 11:14時点におけるTX2468 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 益川 満育(ますかわ まいく、1950年10月19日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ヤクルトアトムズ・ヤクルトスワローズ近鉄バファローズ西武ライオンズに所属した。現役時代のポジションは内野手。本名は上記と同じだが、下の名前の読みは「みつよし」である。

来歴・人物

地元の興國高校では、1968年に3番打者、外野手としての甲子園に連続出場。春は1回戦で仙台育英に敗退するも、夏は決勝で静岡商を降し優勝を経験した。この大会では益川自身も1回戦から準決勝まで5試合連続でヒットを放ち、チームの勝利に貢献している。高校同期に山田敏彦がいた。

高校卒業後は近畿大学に進学するも中退し、その後、日本熱学工業に就職。同社でも外野手として活躍した。

そして1971年11月、ヤクルトアトムズからドラフトで4位指名されてプロ入りを果たす。プロでは内野手に転向し、主に二塁と遊撃を守った。最も活躍したのは1975年で、永尾泰憲とレギュラー遊撃手を争い、79試合出場、2本塁打を記録している。しかしこの年以外、アトムズ・スワローズではさしたる成績を残せなかった。

1976年オフ、伊勢孝夫との交換トレードで近鉄バファローズに移るも出番は少なく、1978年暮れに自由契約選手となる。

1979年は西武ライオンズに在籍したが、5試合のみの出場に留まり、同年を最後に引退した。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 ヤクルト 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
テンプレート:By2 21 46 40 4 8 1 0 1 12 4 1 0 0 0 3 0 3 8 1 .200 .304 .300 .604
テンプレート:By2 79 234 215 22 55 10 2 2 75 12 2 2 1 3 13 0 2 37 4 .256 .300 .349 .649
テンプレート:By2 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 近鉄 16 15 13 3 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 2 0 0 4 0 .231 .333 .462 .795
テンプレート:By2 西武 5 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:6年 125 303 276 29 66 11 2 4 93 17 3 2 1 3 18 0 5 49 5 .239 .295 .337 .632

記録

背番号

  • 48(1972年 - 1976年)
  • 30(1977年 - 1978年)
  • 46(1979年)

関連項目

テンプレート:ヤクルトアトムズ1971年ドラフト指名選手