朝香宮

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テンプレート:日本の氏族 朝香宮(あさかのみや)は、明治後期、久邇宮朝彦親王の第8皇子である鳩彦王が創設した宮家

系譜

朝香宮鳩彦王

テンプレート:Main 初代・鳩彦王(やすひこおう、1887年(明治20年)10月20日 - 1981年(昭和56年)4月12日)は、1906年(明治39年)に明治天皇から朝香宮の宮号を賜った。1910年(明治43年)には、明治天皇の第8皇女允子内親王と結婚。陸軍士官学校陸軍大学校を経て、1922年(大正11年)にフランスに留学した。

1923年(大正12年)にフランス北部ベレネー近郊で、義兄の北白川宮成久王の運転する自動車が事故を起こし、同乗した鳩彦王は重傷を負う(成久王は死亡。この時、王は成久王の運転技術の未熟さを指摘し運転を止めるよう忠告していたが、聞き入れられなかった)。怪我の療養のためフランス滞在が長引いたことで、フランス文化により長く触れることになった。特に、看病のため渡仏した宮妃と共に1925年(大正14年)のアールデコ博を観覧し、同様式に対して強い関心と理解を示した。

帰国後は、近衛師団長、軍事参議官上海派遣軍司令官などを歴任し階級は陸軍大将に進んだ。第二次世界大戦終盤においては、終始強硬な主戦論者として本土決戦に備えた陸海軍統合(統帥一元化)を主張・力説していた。

1947年(昭和22年)GHQの指令により10月14日皇籍離脱熱海に移り、趣味のゴルフ三昧の生活を送った。ゴルフ好きは戦前から知られ、東京ゴルフ倶楽部の名誉総裁であり、1932年(昭和7年)に東京ゴルフ倶楽部ゴルフ場が東京駒沢から埼玉県膝折村に移転された際には、膝折村が朝香宮にちなんで朝霞町(現在の朝霞市)と改名したことで有名。東京白金台宮家本邸は、戦後西武グループの所有を経て、現在東京都庭園美術館となっている。日本では数少ないアールデコ・スタイルの豪華な内装で知られる。1981年(昭和56年)4月12日に94歳で逝去した。

沓掛にあった別荘は、現在、千ヶ滝プリンスホテル(事実上の“軽井沢御用邸”)となっている。

孚彦王

孚彦王(たかひこおう)は鳩彦王第1王子で、終戦時は陸軍中佐であった。1947年(昭和22年)に皇籍離脱し朝香孚彦と名乗った。

家族

関連文献

外部リンク

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