日本移動通信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年7月23日 (水) 09:05時点における直樹福田 (トーク)による版 (略歴)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

日本移動通信株式会社(にっぽんいどうつうしん、IDO Corporation)は、かつて存在していた携帯電話移動体通信)事業会社。現在のKDDI株式会社の前身企業の1つで、現在KDDIが展開する移動体通信(携帯電話)事業「au」の前身事業を行っていた。略称は、IDO(イドー)。

概説

第二電電DDIセルラーグループ、現在KDDI)と営業エリアを分け合ったため、関東地方山梨県静岡県長野県東海3県の1都12県を営業エリアとしてサービスを提供していた。一部のキャンペーンを除き、基本的に「関東・中部エリア」をひとつと見なした営業を行っていた。

当初はNTT大容量方式(「ハイキャップ」と呼んでいた)を採用し、エリア外ではNTT(のちNTTドコモに分社)へのローミングだったが、JTACS方式を採用したDDIセルラーグループがIDOのエリア内で使えないことが政治問題化したため、IDOも「TokyoPhone」(後のTACS Minimo)の名前でJTACS方式を並行して提供することとなり、DDIセルラーグループとの提携・ローミングが実現した。

後に導入されたデジタル方式(PDC方式)は当初からDDIセルラーグループとのローミングを想定し展開された。

さらに、その後に展開されることとなる第三世代携帯電話については、早くから米国方式の採用を表明し、第三世代携帯電話の先行方式である「cdmaOne」を他社に先駆けてDDIと共同展開し、第三世代携帯電話の占有率の首位獲得の基盤を築いた。

このときの「cdmaOne」のCMには、当時直前までNTTドコモのCMに出演していた織田裕二を起用したことで、大きな話題となった。

cdmaOneの全国ネットワークの完成とPDC方式の廃止と第三世代携帯電話「CDMA2000」の共同展開の決定を機に、2000年7月に両グループのブランドを「au」(エーユー)に一本化。その後、2000年10月に、ケイディディ (KDD) と第二電電 (DDI) の2社と合併してKDDIとなり、法人格としては解散した。

略歴

関連項目


脚注・出典

テンプレート:脚注ヘルプ

テンプレート:Au テンプレート:KDDI テンプレート:かつて存在した日本の携帯電話事業者

テンプレート:Asbox

テンプレート:Keitai-stub
  1. 日本高速通信、国際デジタル通信、日本移動通信への出資