召集令状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年5月19日 (月) 22:29時点におけるゆたかしげる (トーク)による版 (関連項目)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 召集令状(しょうしゅうれいじょう)とは、軍隊が在郷将兵召集のために出した令状である。本記事では特記のない限り日本軍のそれについて記述する。

なお、自衛隊では予備自衛官等の動員については「招集」の語を用い[1]、その命令を伝達する命令書は「招集命令書」という。防衛招集命令書は淡紅色、国民保護等招集命令書は淡黄色、治安招集命令書は淡緑色、災害招集命令書は淡青色、訓練招集命令書は白色とされている。

日本陸軍における召集

召集の区別

  • 充員召集
  • 臨時召集
  • 国民兵召集(昭和16年(1941年11月15日の陸軍召集規則改正により充員召集・臨時召集に統合)
  • 演習召集
  • 教育召集
  • 補欠召集
  • 防衛召集(昭和17年(1942年9月26日公布の陸軍防衛召集規則による)

召集命令状の種類

戦時における陸軍の召集のうち召集令状等はその色[2]から赤紙などと呼ばれた。 以下は召集令状の各色・種類である。

  • 赤紙=充員召集、臨時召集、帰休兵召集、国民兵召集、補欠召集
  • 白紙=教育召集、演習召集、簡閲点呼 
  • 青紙=防衛召集

青紙の「防衛召集」とは、空襲などの際に国土防衛のため、予備役・補充兵役・国民兵役(在郷軍人と呼ぶ)を短期間召集すること[3]

赤紙の充員召集・臨時召集・国民兵召集令状は、昭和16年(1941年)11月15日の陸軍召集規則の改正により、国民兵召集の区分は廃止された。

用紙は、縦15.5cm、横25.7cm。黒のインク印刷され、の厚みが半紙のように薄い。召集令状(赤紙・白紙・青紙)は陸軍省が作成した動員計画に基づき連隊区司令部で対象者を指定(名簿からランダムに該当者を抜き出す)して発行し、警察署の金庫に密封保管され、動員令が発令されると警察官が市区役所・町村役場にこれを持参し、役所役場の兵事係吏員が応召者本人に直接手渡し(不在の場合はその家族に)交付した。その際受取人は受領日時(何時何分)を記入し押印する。令状は本記と受領証からなり、本記には応召者氏名、住所、召集部隊名、到着日時等が書かれ、これは部隊までの交通切符代わりになる。

受領証は、職員が市区町村役場に持ち帰り、「召集令状受領綴」という記録簿に保管する。

令状表面には、召集される者の氏名、配属される部隊名、部隊に出頭する日時などが記載される。

裏面には、召集令状を提示することによる目的地までの交通費の割引(船舶は5割、鉄道は1等車及び3等車が5割、2等車が4割、南満州鉄道は一律5割引き)や、伝染病など理由あって期日までに部隊に出頭できない場合の連絡先、応召集員の心得などの備考及び注意事項が記載されていた。ちなみに運賃については、本人負担分は到着後配属部隊にて支給すると書かれている。また、その交通費が不足する場合は、事前に市町村役所に届け出れば全額前金で支給するとなっている。また、理由なく召集に応ぜられなかった場合、罰金刑もしくは拘留と書かれている。

召集令状は、役場の兵事係から本人や家族に直接渡され、召集された本人が兵営へ持参するため、現存するものは極めて少ない。

その他

従軍記などに見る「一銭五厘」の表現は、当時のハガキの郵便料金が一銭五厘であったことから、兵隊は一銭五厘で赤紙を送れば補充がきく、兵隊の命には一銭五厘の価値しかないという比喩である。ただし、実際には上述のとおり赤紙は役場の職員が直接持ってきた。


日本海軍

召集の区別

  • 充員召集
  • 演習召集
  • 補欠召集
  • 勤務召集
  • 防衛召集(昭和19年(1944年4月21日公布の海軍防衛召集規則による)

なお、第二次世界大戦頃の日本海軍の充員召集令状は「紅色」であった。

関連項目

外部リンク

脚注

  1. 日本国憲法下においては、自衛隊に係る行政行為等は天皇の国事行為とは直接関係ないので、「招集」の語を用いる。なお、天皇の国事行為として一定の期日に集合を命じる行為は、国会の召集のみとなっている。
  2. 当初は真っ赤だったが、戦時の物資不足による染料の節約で次第に地色が薄くなり、実際に太平洋戦争で多くの人が目にしたのはピンク(淡紅色、桃色、鴇色)である。
  3. 資料・加藤陽子著、吉川弘文館、1996年刊「徴兵制と近代日本」より。

テンプレート:Gunji-stub