八塚浩

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八塚 浩(やつづか ひろし、1958年10月16日 - )は、千葉県出身のフリーアナウンサー圭三プロダクション所属。

プロフィール

立教大学法学部出身。在学中は、アルバイトでお笑いのコントの台本を書いていたことがあった[1]。大学卒業後、ラジオ福島の局アナウンサーとしてデビュー。文化放送制作『青春キャンパス』の「ラジオ福島キャンパスリーダー」として出演していた当時は『八塚浩を見守る会』というファンクラブのような団体が存在したこともあった[1]。この他『それいけAM!AM!こちら下荒子8番地』月曜日パーソナリティ(1988年3月まで)などを担当。この当時は『シティ情報ふくしま』に『ヤッチン放談』というコラムを連載していた[1]

1988年にフリー転向。その後WOWOWCS放送独立UHF放送局などを中心にプロ野球高校野球予選、サッカー中央競馬プロレス等のスポーツ実況を担当する。

1991年WOWOWセリエA中継でプロサッカー実況のキャリアをスタート。2009年現在、主にスカパー!J SPORTSJリーグ・海外サッカーの実況を担当している。

FIFAワールドカップでは、2002年の日韓大会では韓国で開幕戦や準決勝戦など9試合を実況した。当時の韓国の大声援は南アフリカ大会でのブブゼラより騒がしいものだったという[2]。2006年のドイツ大会では準決勝2試合などを現地で実況した。2010年の南アフリカ大会では決勝戦の実況を担当する。

また、サッカー以外にも格闘技中継やスポーツバラエティ番組の実況を行うこともある。2006年にはフジテレビ海筋肉王』の実況も担当した。

NHK総合テレビではスポーツニュースのナレーションも務めているが、スポーツ以外の一般ニュース(主に事件の供述内容、刑事裁判における裁判長の朗読、ニュースの対象となる会社側のコメントなど)でもナレーションを担当することが時折ある。

人物

ニックネームは「鉄人」。連日膨大な仕事量をこなすことからその名がついた。実況試合数はピーク時には年間300試合以上(当時、土曜昼のJリーグ中継後、同日深夜に海外サッカー2試合、日曜朝にグリーンチャンネルで競馬番組の司会、同日深夜再び海外サッカーの実況を担当するなど殺人的なスケジュールをこなしていた)、2009年現在でも200試合程度は実況しているだろうと語る[3]。2010年もスカパー!でのFIFAワールドカップ決勝戦の実況を南アフリカ共和国で行い、帰国後すぐに千葉テレビ放送での全国高等学校野球選手権千葉大会中継の実況を行っている。

Jリーグ開幕前からサッカー実況を担当していたこともあって、過去の映像を見ながら実況・解説を当て直して放送する企画を担当することが多い。2010 FIFAワールドカップ前にスカパー!で放送された、過去のFIFAワールドカップサッカー日本代表の試合や、コスミック出版のDVD付きムック「J League Legend サポーターが選んだ名勝負」など。セリエAは1991年から、UEFACLは1994年から実況している。

またテレビゲームソフト「Jリーグプロサッカークラブをつくろう!」(サカつく)の実況、サッカー雑誌「サッカーズ」(フロムワン)、「週刊サッカーダイジェスト」のコラム執筆も担当している。

意外なところでは、かつてガッツ石松が制作した映画「カンバック」に実況アナウンサー役としての出演歴がある。

出演番組

関連項目

脚注

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外部リンク

テンプレート:FIFAワールドカップ決勝戦実況アナウンサー
  1. 1.0 1.1 1.2 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)より
  2. FLASH 2012年6月26日号 29頁 2002日韓W杯「あの人」「あの聖地」の今
  3. 解説者の素顔「八塚浩編」 スカパー!サッカー