高雄 (巡洋艦)

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艦歴
発注
起工 1886年10月30日
進水 1888年10月15日
就役 1889年11月16日
除籍 1911年4月1日
売却 1912年3月27日
性能諸元
排水量 常備:1,774t[1]
全長 69.9m
全幅 10.4m
吃水 3.9m
機関 二軸レシプロ蒸気機関、円缶(石炭専焼)5
2,300馬力
燃料 石炭300t
最大速 15.0kt
兵員 220名
兵装 35口径15cm単装砲4基
25口径12cm単装砲1基
7.5cm単装砲1基
魚雷発射管2門

高雄(たかお)は、大日本帝国海軍の国産初の巡洋艦。艦名は京都府高雄山にちなんで名づけられた。

艦歴

1886年に横須賀造船部で起工し、1889年に竣工した。鉄骨鉄皮の船体で二重底を採用した。設計者はフランス人ルイ=エミール・ベルタン(Louis-Émile Bertin)であった。1890年8月23日に第一種と定められた。

日清戦争では、大連旅順威海衛攻略作戦等に参加。1898年3月21日、三等海防艦に類別された。義和団の乱では1900年8月より翌年11月にかけて、廈門上海警備に従事した。

日露戦争に際しては、津軽海峡仁川港警備に従事し、日本海海戦に参加した。1911年に除籍され、翌年に売却された。

艦長

  • (心得)山本権兵衛 少佐:1889年4月12日 - 8月29日
  • 山本権兵衛 大佐:1889年8月29日 - 1890年9月24日
  • 有栖川宮威仁親王 大佐:1890年9月24日 - 1892年9月5日
  • 中溝為雄 大佐:1892年9月5日 - 1893年1月25日
  • 佐藤鎮雄 大佐:1893年1月25日 - 1893年5月20日
  • 尾本知道 大佐:1893年5月20日 - 1893年10月12日
  • 沢良煥 大佐:1893年10月12日 - 1895年7月25日
  • 小田亨 大佐:1895年11月18日 - 1896年4月1日
  • 向山慎吉 大佐:1896年4月1日 - 1897年6月1日
  • 小倉鋲一郎 大佐:1897年6月1日 - 1898年9月1日
  • 酒井忠利 大佐:1898年9月1日 - 1900年2月13日
  • 太田盛実 中佐:1900年3月26日 - 5月23日
  • 成田勝郎 中佐:1900年6月17日 - 9月25日
  • 高橋助一郎 中佐:1900年9月25日 - 10月2日
  • 津田三郎 中佐:1900年10月2日 - 1901年2月9日
  • 松枝新一 大佐:1901年2月9日 -
  • 丹羽教忠 中佐:1902年3月3日 - 1903年4月12日
  • 石橋甫 中佐:1903年6月22日 - 7月7日
  • 荘司義基 中佐:1903年7月7日 - 12月28日
  • 矢代由徳 中佐:1903年12月28日 -
  • 山本正勝 中佐:不詳 - 1905年12月20日
  • 東郷吉太郎 中佐:1905年12月20日 - 1907年2月28日
  • 上村翁輔 中佐:1907年2月28日 - 9月28日
  • 高島万太郎 中佐:1907年9月28日 - 1908年1月15日
  • 吉島重太郎 中佐:1908年1月15日 - 9月2日
  • 森越太郎 中佐:1908年9月2日 - 9月25日
  • 町田駒次郎 中佐:1908年9月25日 - 1909年10月11日
  • (兼)堀輝房 中佐:1909年10月11日 - 10月25日
  • 堀輝房 中佐:1909年10月25日 - 1911年4月1日

脚注

  1. 『日本の軍艦第5巻』によると1,770トン。また『大日本帝国軍艦帖』によると1,778トン。

関連項目

参考資料

  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 雑誌『』編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』光人社、1989年。 ISBN 4-7698-0455-5
  • 海軍文庫『大日本帝国軍艦帖』海軍文庫、1894年。

外部リンク

近代デジタルライブラリ(大日本帝国軍艦帖が閲覧可能)