韓国系アメリカ人

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テンプレート:Infobox 民族 韓国系アメリカ人(かんこくけいアメリカじん、テンプレート:Lang-enテンプレート:Lang-ko)は、朝鮮半島に血統的由来を有し、国籍がアメリカ合衆国である者。朝鮮系アメリカ人とも呼び[1]、国籍が韓国であるアメリカ在住者は『在米韓国人』という。

本項目では、韓国系アメリカ人の他、在米韓国人や、その他民族的に朝鮮民族であるアメリカ人(韓国成立以前の朝鮮から移民してきた人、中国の朝鮮族〈朝鮮系中国人〉、北朝鮮からの亡命者又は脱北者など)を併せたコリアン・アメリカン(Korean American)を扱う。

現状

2010年の米国国勢調査では、韓国系アメリカ人は約170万人で米国総人口の約0.6%を構成している。米国は中国に続き在外韓国人が2番目に多い国となっている。2010年の韓国系アメリカ人の州ごとの人口と総人口に対する比率の上位州は、カリフォルニア州(452000人、1.2%)、 ニューヨーク州(141000人、0.7%)、ニュージャージー州(94,000人、1.1%)、バージニア州(71000人、0.9%)、テキサス州(68000人、0.3 %)、ワシントン州(62400人、0.9%)、イリノイ州(61500人、0.5%)、ジョージア州(52,500人、0.5%)、メリーランド州(49000人、0.8%)、ペンシルベニア州(41000人、0.3%)、ハワイ州(23,200人、1.8%)である。

移民の波は1980年代から爆発的に始まり現在も続いており、年約2万人近くが移民している。韓国は現在アメリカ移民の出身国9位であり北米地域を除くとインド中国フィリピンに次いで多い。冷戦体制の崩壊や韓国の経済成長により、近年は韓国の教育制度を嫌い子弟に早期英語教育を受けさせるために移民する「教育移民」が増加している。

韓国移民が集まる町には韓国人聖職者のいるキリスト教会が建てられ、韓人会が組織される。また自営業者が多いので、米国商工会議所に韓人支部が設けられることもある。韓国移民の大規模集住都市では韓国系のラジオ・テレビ局が設立され、朝鮮語放送を行っている。

歴史

第1期

朝鮮米国の外交関係は1882年米朝修好通商条約(翌年批准)によって開始され、1903年1月13日には朝鮮から米国への最初の移民103人がハワイ州に到着した。第1期のハワイ移民は韓国内の米国系キリスト教会によって組織されたため、クリスチャンが多く、日系人同様、大部分は砂糖キビ農園で働いた。しかし、1905年に日本が大韓帝国の外交権を掌握すると、米国への移民は規制され、集団移民は停止した。この時期に約7千人がハワイへ移住し、大部分は男性労働者であった。ただ1924年まで写真見合いによって約1,000人の女性が個別に米国へ渡航した(英語でピクチャー・ブライドという)。

1904年から1907年にかけて約1,000人の韓国人がハワイからサンフランシスコに渡り、移民の波は米本土に広がった。1909年にはサンフランシスコで最初の韓国人政治組織である韓人協会が設立され、のちに日本の支配に対する抵抗を訴えるに至った。

第2期

朝鮮戦争終結から第2期の移民の波が始まる。1952年移民国籍法では韓国に対して年間100人の移民枠が割り当てられた。1953年から1963年にかけての第2期の移民は米軍人と結婚した韓国人女性や養子として引き取られた戦争孤児であった。この時期に養子として海を渡った者は約5000人、米国軍人の配偶者の場合は約6000人と推定されている。ただ、軍人の妻にしても養子にしても最初からアメリカ人の被扶養者として入国するので、移民として扱われず、正確な統計は掴めない。

海外へ引き取られる韓国人養子(en)の問題はこれまでほとんど注目を集めなかったが、1991年スウェーデンの韓国人養子を取り上げた映画『スーザン・ブリンクスーアリラン』(日本題:スーザンブリンクのアリラン)が公開されて韓国内でも大きな反響を呼び、1998年金大中大統領が海外の成人養子29人を青瓦台に招待して、韓国が育てられなかったことを公式に謝罪した。

1945年から1965年の20年間に留学生として約6000人がアメリカの大学に入学したが、その9割以上は永住資格や市民権を得てアメリカに残った。

第3期

1965年の米国移民法改正によって韓国移民が米国に入りやすくなった現在までが第3期である。移民法改正後、米国はベトナム戦争に協力した韓国を同盟国として扱い、比較的大きな移民枠を設けた。1965年の韓国系アメリカ人数は約2.5万人であったが、1970年には5万人、1980年には35.7万人、1990年には70万人と膨れ上がった。とりわけ1980年代に約35万人が韓国から米国に渡っている。

この時期の移民は経済的理由だけでなく、北朝鮮との戦争の危険や国内の軍事独裁政権を嫌って移民する者も多かった。このため、韓国人移民は単身労働者ではなく、本国で貯蓄したある程度の資金をもって家族ぐるみで渡航する傾向が見られる。米国各地にコリア・タウンが形成され、"パパママショップ"と呼ばれる低所得者向けの個人商店や、クリーニング屋に従事する者が多い。

米国社会との関係

黒人社会との軋轢

ロス暴動

テンプレート:See 米国に渡った韓国系アメリカ人は競合の少ない黒人街の貧困地域で商売を始めたが、黒人を差別し、従業員には黒人ではなくヒスパニック系を雇用し、閉店後は韓国人街へ帰るスタイルから、黒人の地元住民に「自分達を差別しながら自分達から儲けている連中」とイメージされており、更にラターシャ・ハーリンズ射殺事件報道がロス暴動時の韓国人商店襲撃へと結びついたと考えられている[2]。両者の間に感情的対立・衝突があった事はアイス・キューブの "BLACK KOREA" や映画 The L.A. Riot Spectacular、あるいはドラマ『LOST』などからも窺える。米国における韓国系の人種差別意識に関してはKorean(朝鮮民族)という語がラテン系・アフリカ系差別者としての意味合いを持つようになり、アパートやビルの賃貸・売却広告または名称に使ってはいけないとのアメリカ連邦法院による仮処分命令[3]が2003年に下されるまでに至っている。

1992年4月29日ロサンゼルスダウンタウンで起きた暴動(ロス暴動)において放火や略奪が横行し、五日間で死者55人、負傷者は約2千人、3600件以上の放火により千百以上の建物が炎上または崩壊した。韓国系が2200件以上の被害件数、死者1名、総被害額は半分にあたる3億4千万ドルを数えるなど、韓国系商店の占める割合が高かったのは、上記の理由によるものと推察されている[2]。武装強盗に対して拳銃で自己防衛に出る韓国系住民の映像がテレビ放映されるなど、韓国系アメリカ人の存在は大きくクローズアップされた。もっとも、暴動の被害者は韓国系住民だけではなく、同じく貧困地帯で商売していたヒスパニックやインド系住民も含まれ、加害者側も黒人・ヒスパニックばかりではなくアジア系の移民も参加していた。逮捕者における割合は黒人30%(主に放火、電化製品の強奪)、ラテン系51%(主に食品や生活必需品の強奪)である。米国社会の人種間の軋轢が、従来の「白人vs有色人種」というお決まりの構図に留まらず、有色人種同士の中にも存在することを浮き彫りにする結果となった。

韓国人街は「禁煙規定や酒類販売規制が守られない無法地帯」と指摘され、韓国系アメリカ人は黒人街に店を開いてヒスパニックを雇っているが、ロス暴動以降は「黒人立ち入り禁止」という看板を掲げる店も出た。テンプレート:要出典

黒人系メディアによる韓国系アメリカ人の評価

黒人新聞『マネー・トークス・ニューズ』は「記者は生まれてこのかた韓国人ほど冷酷で愚劣で無分別で、しかも侮辱的で傲慢な人間に会ったことはない」とまで書き、同じく黒人新聞の『ザ・ロサンゼルス・センチネル』は韓国人の貪欲さ、働き過ぎ、社会的貢献ゼロ、黒人蔑視と手厳しく批判。また黒人学生を対象に行ったある世論調査では、「韓国人は最も距離を置いた人種」との結果が出ている。韓国企業を顧客に法律事務を経験したM.カルフーン博士は、「日本人と韓国人はまったく似て非なる人種」と前置きし、「相手の意見を聞こうとしない点で日本人とは大違いだった」と述べている[4]

その他の騒動

2000年代からは韓国系とアフリカ系の大きな摩擦は起きていないが、2011年にダラスでガソリンスタンド店長の韓国系アメリカ人が客の黒人に対して「アフリカに帰れ」と発言したことから、黒人達が地元メディアや全米有色人種地位向上協会(NAACP)、アフリカ系イスラム団体のネーション・オブ・イスラム(NOI)に事件の対応を求める騒ぎとなった。これに関して、朝鮮日報などの韓国の本国のメディアでも「反韓感情が拡散している」と報じられた。

バージニア工科大学銃乱射事件

テンプレート:See 2007年4月16日、バージニア州ブラックスバーグのバージニア工科大学で起こった銃乱射事件の犯人が永住権を取得した韓国人であったこともあり、韓国系住民に対しての差別が懸念された。だが、報道機関などでは、韓国系であることは事実として述べたものの、差別的な報道をすることはなかった。

単一民族・愛国意識

一部の論者によると、民族意識が強いと指摘される。アメリカではアフリカ系を除き、ヨーロッパ系やアジア系、先住民の間で混血化が進んでいるが、韓国系コミュニティでは単一民族国家意識が強く、混血児を差別する傾向が見られる。ハインズ・ウォードは韓国系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人のハーフであり、韓国またアメリカの韓国人社会でのアフリカ系に対する差別を訴えていた。

フルブライト・プログラムで渡米し、その後日本へ帰国した落合信彦は韓国系アメリカ人の特徴として以下のように分析している[2]

  1. ハングリー精神旺盛で危険を顧みない。
  2. 家族の結束が強く、家族経営の店舗を運営する者が多い。
  3. 排他的で他のエスニックグループ(民族ルーツ)との交流が比較的少ない。
  4. 一儲けして帰国する者が多い。
  5. 自己主張が強く、激しい。

信仰

韓国系アメリカ人の大多数がプロテスタント教会に所属している。そのうち約半数が長老派教会、約1/4がメソジスト派教会、残りの約1/4がその他の諸派である。

著名人

著名な韓国系アメリカ人としては、韓国系アメリカ人として初めて米国議会に当選したジェイ・キム、連邦控訴院裁判官を勤めたハーバート・チョイや、ヘミングウェイ賞受賞作家のチャンネ・リーなどが挙げられる。ほか、韓国歌手としても活躍するリナ・パーク、俳優のダニエル・ヘニーリンキン・パークジョー・ハーンやゴルファーのミシェル・ウィー、アメフト選手のハインズ・ウォード、モデルのシャネル・イマン、プロ野球選手のターメル・スレッジなどが著名。

芸能人

  • 伊藤由奈 -日系アメリカ人でもあり日本の歌手

その他

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:朝鮮民族のディアスポラ
  1. 韓国系アメリカ人 Weblioシソーラス
  2. 2.0 2.1 2.2 落合信彦『もっともっとアメリカ』
  3. Use of Word 'Korean' Ruled Discriminatory 2003年8月30日付ロサンゼルス・タイムズ
  4. 読売新聞社「THIS is 読売」1992年8月号「コリアンはなぜ嫌われたのか ロス暴動と核疑惑の狭間」より。