韓国刀

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韓国刀(かんこくとう)は、本来は韓国固有の伝統的なの総称だが、現在その名前を用いて一部の韓国人が製作しているものはほとんどが本来の意味にそぐわない日本刀を模造したものであり、韓国起源説の一種として問題となっているもの。 </br>朝鮮刀(ちょうせんとう)ともいう。

『韓国刀』とは何か

古くから朝鮮半島では中国の影響を受けて両刃直剣のものや、「環刀」という直刀が用いられていた。秀吉朝鮮出兵で17世紀以降、日本刀の優秀さが朝鮮でも広く知られるようになると日本から日本刀を輸入し、基本的な構造はそのままで一部改良を加え倭刀と呼び使用した。またこれにより日本刀の強い影響下にある刀剣が以後一時期の間多く作成されたが、古来からの中国式に近い剣も引き続き多く使われた。

なお、文禄・慶長の役の頃の朝鮮の刀剣について、ルイス・フロイスは「短く、たいして役に立たない」と述べている[1]

現在の韓国で一部の人が『韓国刀』を名乗って製作した刀剣は韓国古来の直刀ではなく、この倭刀、もしくはその強い影響下に作成された刀剣であることが多々あり、日本人との摩擦を引き起こしている。

『韓国刀』問題

古代の朝鮮半島南部の弁韓(後の加羅(伽耶)任那安羅など)には古くから倭人が定住し、製鉄を営んでいた。そのため高霊地方では日本式の土器などが多く出土する。それらの倭人がもたらした製鉄技術は日本本土で伝承発展し 出雲国などで新たな画期的発展を迎え日本独自の踏鞴(たたら)製鉄を生み出した。この製鉄技術を基に平安時代中期以降(10世紀ころ)刀身に反りのある初期の日本刀(太刀)の発明に至った。

現在、「韓国伝来の刀剣」「数千年の歴史を持つ刃物」として『韓国刀』という名称の刀剣が発表・展示されることが多くなっている。だが、これらのほとんどは、中世から近代にかけて日本より輸入した日本刀の外装のみを韓国風に仕立て直した物であったり、自国にて日本刀を模倣して作成された倭風刀などであり、本来韓国刀と呼ばれるべき韓国古来の直刀ではない。この『韓国刀』が欧米諸国へ売買されることも多いため、文化の起源に関わる様々な問題、衝突を起こしている。

史書などによると、朝鮮で踏鞴鉄を用いて(しのぎ)造の刀剣が作成されたという歴史はない。だが、一部の韓国人は、「日本刀は韓国(朝鮮)の刀をモデルに作成された」「日本刀の製作を教えたのは韓国」「日本は韓国(朝鮮)の刀剣製作技術を盗み出し、奪い去った。そのため、韓国(朝鮮)にはその技術が無くなった」と主張している。韓国刀の問題とは、日本が長い時間をかけて蓄積した経験によってつくりあげ、伝え続けてきた「日本刀」という文化を、一部の者達が盗作し、『韓国がオリジナル』であると宣伝し、あまつさえ「日本刀のほうが韓国の盗作だ」といわれていることである。現在の日本刀の根幹となる技術は日本で独自に、大陸からの影響なしで開発されたという事実を完全に無視し、歪曲しているのが一番の問題といえよう。

この問題は他にも一部の反日主義者達の唱える同様の韓国起源説や日本アニメ盗作問題などとその本質を共有している。 しかしこのような俗説に対して批判的な韓国人は当然多く、またその数も日韓交流に伴い増加しているためこのような俗説に基づく文化の起源問題が表に出ることは以前に比べて少なくなってきている。ともあれ完全になくなったとは言いがたい。

主な主張

韓国の一部人士の唱える「我らの民族の刀である。」という主張によると、「日本の鉄製の刀は、中国より朝鮮半島を通じてもたらされた製鉄技術(冶金学)によって作成されたものであり、朝鮮には日本より早くその技術があったはずだ」というものがある。

だが一般的な意見はこれを否定している。朝鮮半島で、「踏鞴鉄を用いた鎬造りの刀剣が作成された」という歴史は公式な記録では確認できない。中世から近代までに韓国国内で、踏鞴鉄で鎬造りといった「日本刀と同種の作りの刀剣」が作成された記録がなく、また、中世より近代で、著名な刀工研師の名前も残されていない。決定的なのが、中国・韓国の製鉄法は鉄鉱石によるもので、日本の踏鞴製鉄のように砂鉄を原料とし直接還元法をした形跡すら見いだせない。

因みに百済から日本に贈られた七支刀は研究の結果、鋳型鉄鉱石を原料とした白銑を溶かし流し込む鋳造で造られており、当時の朝鮮半島での刀の製作方法が日本刀のような鍛造とは全く異なることが解明されている。

また、韓国の中世から近代の記録を参照してみても、朝鮮半島で使用された刀剣の多くは、両刃のや、直刀(まっすぐな)であり、現代で言う「韓国刀」の形式のものがあるものは確認出来ない。

さらに、韓国国内で展示されている「韓国刀」は、かなりの部分がさび付いてしまっている。これについては輸入した後に錆が出てしまっても、独特の技法で作成され、研磨に高い技量を要する「日本刀の刃」を、研磨することのできる「研ぎ師」が存在しなかったことを証明しているともいわれる。

「日本刀はわが民族の刀だ」と信じる韓国人は希ではない。そのように信じている韓国人は、強固に韓国起源の刀剣であると主張する。しかしこれは所謂韓国起源説という俗説の一部に過ぎない。 古くから「日本刀」が中国や、朝鮮半島に向けて多く輸出され、その「日本刀」を研究した書物や、その用法について考察された書物も存在する。「倭刀」「和刀」などの名称がつかわれていた(韓国内で「韓国刀が韓国古来の刀剣であることが証明された」と称する文書が示されたとき、注意書きに「和式刀」などと表記されていたことがある)。

現代の『韓国刀』

では『韓国刀』は全く存在しないのかというと、勿論そうではない。刀剣の作成技術自体は古くから存在しており、前述したように韓国古来の伝統技術で作られた直刀が存在している。本来ならばこれが韓国刀と呼ばれるべきであり、また文化財として復元、製作されるべきものである。だが奇妙なことにそのような真性の韓国刀の復元者は少なく、現代において『韓国刀』と自称する刃物を作成している刀工はほとんどが日本で「日本刀」の製作技術を学んだ刀工であり、彼らが作った刀に韓国風の外装をつけることで『韓国刀』と詐称して販売されている。また、この刀工自身が述べているように「伝統的製法での日本刀型の刀剣の作成は、不可能だった」とされている。

現在、この刀工を始め、韓国では自動車スプリングを加工して作成した刀剣(スプリング刀)を「韓国刀」として広められているが、これは世界大戦下、日本軍が物資と時間・技術の欠乏により日本刀の代用として配布した、自動車のスプリングを材料とした模造日本刀(工業刀のひとつ)とほとんど同じものと言ってよい。これはクッキーの型抜きのように鉄板を日本刀型に抜いて刃を付けた物である。作りが単純な分、値段も日本刀に比べると非常に安価で、手入れも簡単なため、日韓の交流の際に試し斬りに使用されたこともある。

なお、大戦時のスプリング刀は軍隊内では『昭和刀』または『昭和新刀』と呼ばれていた。それらは粗悪刀の代名詞のように言われているが、昭和刀とは昭和期に造られた日本刀の一種であり、実際にはそれらの中にも正しい作刀が見受けられるどころか、斬撃のための武器としては古刀に勝るものさえ存在する。

以上の理由から、韓国刀には日本刀に特有の「地肌」「匂い」は存在しない。韓国刀は豪奢な外装とは対照的に、刀身は大型のナイフのようであり、日本刀との判別は容易である。また、美術工芸品としての価値は無いため、韓国刀の刀身を日本で所有すると銃刀法違反となる(外装には工芸品としての価値がある)。

脚注

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関連項目

外部リンク

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  • 『日本史』2巻(1977)/中央公論社 213頁