雲伯

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雲伯(うんぱく)は、令制国であった出雲国伯耆国を合わせて呼ぶ場合に用いる名称。古事記においてはイザナミ神の埋葬地として出雲と伯耆の堺の比婆山が示されており、その順位で雲伯となったものと考えられている。考古学言語学上両国はきわめて類似した風土をもつ地域であったのでこのような名称が使われており、考古学的な狭義の意味の古代出雲圏(大出雲圏として石見にかけた日本海側を指す場合とは別)とも考えられている。特に出雲国と伯耆国の国境地域であるいわゆる「雲伯国境域」に限定して指す場合もあるが、おおかたは山陰地方という概念の中核であったことを意味している。

近代以前においては、地質学的理由により、きわめて不純物の少ない真砂砂鉄古代から近世にかけて一貫して産出され、かつては一大製鉄文化が発達した地方である。弥生時代の有名な遺跡や特殊古墳が存在し、古代以前において早期から山陰地方の中心的存在であった。

現在の鳥取県米子市島根県安来市一帯がその中核地域に該当していたため、今の用法では米子安来地域あるいは安来地方というほうが多いが、現在でも安来鋼として高級刃物等に使用される鋼はこの地区の中央部に位置する安来市で製造されているからである。そのため現存する日本初の特殊鋼メーカーが雲伯鉄鋼合資会社(日立金属安来工場)の名前にも用いられていた。

出雲弁という通称で呼ばれている方言が比較的有名であるが、これは雲伯方言というのが言語学的カテゴリーとしては正しい。

一方、同じ伯耆国であっても因幡国と隣接し、歴史的にも因幡との関係の深い東伯耆地方(現在の倉吉市東伯郡)は言語、文化において因幡との類似性が認められ、東伯耆地域は基本的に「雲伯」の範囲には入らない。しかし、考古学的な調査によると、山陰一体は四隅突出型墳丘墓という独特の弥生墓制をとっていたことから、大和朝廷が発生する以前には同一の様式をもった大出雲と呼ばれるような弥生王朝があったとも考えられる。

関連項目

外部リンク

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