雲と波と少年と

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雲と波と少年と(くもとなみとしょうねんと)は、2003年1月18日から2月22日まで日本テレビ系列で毎週土曜22:00 - 22:54(JST)に放送された癒し系バラエティー番組。司会は桜井幸子進藤晶子

概要

1クールで終了した『電波少年に毛が生えた 最後の聖戦』に代わり、2003年春の番組改編期までのつなぎ番組としてスタート。癒しをテーマにしたドキュメントVTRと、司会の2人によるスタジオトークで構成される。司会者やナレーターこそ異なるものの「電波少年シリーズ」の流れを汲む番組となっている。

第1回の放送翌日の2003年1月19日にロケ中のスタッフが飲酒運転による死亡事故を起こすといった不祥事が発生。平均視聴率も6%前後と『電波少年に毛が生えた…』以上の低迷を見せており、これらの要因が重なったことから2月22日放送分をもってわずか6回で終了となった(事件との関連性を否定していたこともある)。終了後は次番組の『エンタの神様』開始までの穴埋めとして単発の特別番組や電波少年の総集編などを放送した。

本番組では「屋久島便り」と題し、タレントの島崎俊郎が一家揃って鹿児島県屋久島へ移住する模様を紹介していたが、番組打ち切りとともに東京に戻った。この「屋久島便り」の未放送部分は、番組終了後の2003年4月19日に特番として、午後の時間帯に放送された。

こちらでは「屋久島便り」が初回の放送だけで終わっており、残りの企画は1月25日の放送では無理やり引き延ばしたような構成を取っており、この放送だけスタッフロールが存在。「屋久島便り」も公式サイトに記載されていたが、放送できなくなると削除されている。

生みの親は土屋敏男。自身は番組制作にタッチはしていなかったが、コンセプトと番組名は土屋自身が考えた。この番組が生まれるきっかけとなったのは、前の番組である『電波少年』では「癒し」や「世界平和」などを主題として盛り込んでいたが、癒しを主題としていた「日本ぽっちゃり党」の部分だけが視聴率がよくて、後は視聴率が悪く、「土曜の生理が日曜と同じだと思っていた」、「ならば最初から癒しだけとすればよかった」などと気付いた。これは『日経エンタテインメント』で語っていた。

企画

  • 屋久島便り
  • なつかし博物館へようこそ
  • ニッポンニ行ッテキタヨ
  • 人生を変えた風景見に来ました
  • はじめて息子と旅をしました
  • 卒業アルバム

スタッフ

外部リンク

テンプレート:前後番組

テンプレート:電波少年シリーズ