鎌倉アカデミア

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テンプレート:参照方法 テンプレート:Mbox 鎌倉アカデミア(かまくらあかでみあ)は、第二次世界大戦の終結後、1946年鎌倉で誕生した私立高等教育のための学校。1950年9月、財政難のため廃校。

歴史

鎌倉アカデミアは、当初大学設立を目指したものの、資産や運営資金の不足から専門学校として申請された。したがって、正規の大学とはなりえず、正式には鎌倉大学校という。

戦火を免れた材木座の光明寺を仮の校舎としてスタートし、後に大船の海軍の海軍燃料廠跡に移転[1]。設立時の理事会が総退陣したあと、二代目の校長に就任したのが、哲学者の三枝博音だった。庫裡の入口には三枝博音校長自らがギリシャ語で刻んだ「幾何学を学ばざる者、この門に入るべからず」というプラトンの額が掲げられ、服部之総西郷信綱千田是也宇野重吉吉野秀雄高見順三上次男青江舜二郎中村光夫林達夫三浦光雄邦正美藤間勘十郎などが教鞭をとった。学科は、文学科、産業科、演劇科、映画科の四学科編成だった。しかし、創立時からの資金難に加え、自治体や企業からの援助も得られず、わずか4年半しか存続できなかった。教授陣は最後の2年近くは無給で講義に当たり、また140人の学生の半数は学費を納めていなかったと伝えられる。

1996年、創立50年を記念して光明寺の一角に記念碑が建立。また2006年5月13日には、創立60周年記念祭が同じく光明寺の本堂にて行なわれた。

著名な卒業生

脚注

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参考文献

外部リンク

関連項目

  • 島田修一2011は横浜市戸塚に移ったとしている。