金永春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 金 永春(キム・ヨンチュン、1936年3月4日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人政治家朝鮮人民軍総参謀長人民武力部長国防委員会副委員長、朝鮮労働党中央委員会政治局員、党中央軍事委員会委員を歴任。朝鮮人民軍における軍事称号は次帥

経歴

咸鏡北道会寧出身。ソ連のフルンゼ名称軍事アカデミーに留学後、軍部内で台頭。1980年、党中央委員候補に選出。

1986年に党中央委員に選出。同年12月に総参謀部作戦局長に任命。1992年には大将に昇格した。1994年3月、人民軍第6軍団長に任命。

1994年7月の金日成の死後、反金正日運動を抑え、金正日の信任を得たとされる。1995年10月8日、人民軍次帥の称号を授与され[1]、同月には朝鮮人民軍総参謀長に任命された[2]。以後、12年にわたって軍総参謀長を務める。

1998年9月5日、第10期最高人民会議第1回会議において国防委員会委員に選出[3]。2007年4月11日、第11期最高人民会議第5回会議において国防委員会副委員長に選出され、総参謀長を退任した。2008年9月9日に行われた建国60周年の軍事パレードでは、金正日が不在の中「偉大なる金正日同志万歳!」と演説。

2009年2月11日、人民武力部長に任命。金正日の側近の一人となり、金正日の現地指導には、常に金永春の姿があったという。

2010年10月28日の第3回党代表者会において党政治局委員に補選され、党内序列第6位に昇格した[4]

2011年8月11日韓国聨合ニュースは、金正恩への権力継承が進む中で、金永春の威信が「無力化」したと言う韓国のハンナラ党関係者の発言を報道した。同関係者は「このため、北朝鮮軍部内で混乱が生じているのはもちろん、状況次第では朝鮮半島情勢が危機的な状況につながる恐れがある」と述べた。その上で、「北朝鮮軍部内の強硬派の動きを注視する必要がある」とした[5]

ただ、このニュースが伝えられた後の8月20日に金正日がロシアを訪問し、そして、24日にロシア大統領ドミートリー・メドヴェージェフと会談した際に軍服姿で金正日に同行している姿がニュース映像で確認できるため、聨合ニュースが伝えた金永春の権威失墜のニュースの真相は定かではない[6]

2011年9月9日、朝鮮民主主義人民共和国建国63周年記念の労農赤衛隊のパレードの際に再び演説。

2012年4月に人民武力部長を退任し[7]、同4月11日の第4回党代表者会において党中央委員会部長に転出した[8]

2014年4月9日の第13期最高人民会議第1回会議で国防委員会副委員長に選出されず同職を退任した[9]

脚注

テンプレート:Reflist


 テンプレート:PRK2
先代:
金鎰喆
人民武力部長
2009年 - 2012年
次代:
金正覚
先代:
崔光
朝鮮人民軍総参謀長
1995年 - 2007年
次代:
金格植
  1. 重要日誌」『アジア動向年報』1995年版、92ページ
  2. 10月12日判明。「重要日誌」『アジア動向年報』1995年版、92ページ
  3. http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1998/102/1998102REF.pdf
  4. 「参考資料 朝鮮民主主義人民共和国 2010年」『アジア動向年報2011』アジア経済研究所、2011年、68ページ
  5. テンプレート:Citenews
  6. テンプレート:Citenews
  7. 序列3位に一気に上昇の崔竜海書記 金正覚氏は人民武力部長」『産経新聞』2012年4月11日
  8. 朝鮮労働党第4回代表者会議が行われる」『ネナラ』2012年4月12日
  9. 최룡해, 장성택 자리 메우고 명실상부한 '北 2인자'로 朝鮮日報 2014年4月10日