調川駅

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テンプレート:駅情報 調川駅(つきのかわえき)は、長崎県松浦市調川町下免にある松浦鉄道西九州線

駅構造

単式1面1線ホーム地上駅である。無人駅で駅舎は無いが、待合室とトイレ、公衆電話がある。

駅周辺

松浦市調川町の中心部に近いが、駅は表通りから奥に入ったところになり、住宅は多くない。北側の海沿いには松浦地方卸売市場(松浦魚市場)と関連する施設や工場が広がる。

  • 松浦市立調川中学校
  • 松浦市立調川小学校
  • 松浦市役所調川支所
  • 松浦地方卸売市場 - 松浦魚市場が設けられている。アジサバの水揚げ量は日本有数。

利用状況

1日の平均乗車人員は以下の通りである。

乗車人員推移
年度 1日平均人数
1998 87
1999 87
2000 112
2001 92
2002 101
2003 85
2004 75
2005 75
2006 74
2007 74
2008 55
2009 63
2010 62

歴史

隣の駅

松浦鉄道
西九州線
前浜駅 - 調川駅 - 松浦駅

戦争悲話

1943年4月5日の夕方、この駅で脱線事故が発生した。引き込み線から引き上げて来た貨物列車がポイントのところで脱線したもので、事故はそんなに大きなものではなかったが、本線の運行に支障が出るため大急ぎで復旧作業に取りかかった。しかしすでに辺りは真っ暗であったことに加え、警戒警報(空襲警報)が発令中で、当時は全国で燈火管制が敷かれ、軍部の厳重な監視下に置かれていたために灯りをともすことが出来ず、作業が全くはかどらなかった。このため当時の丸山七郎駅長は悩んだ末に灯りをともし復旧作業を完了させたが、その行為が近くの山上にあった軍の監視所に確認されてしまった。丸山駅長はその後、この事故の責任と軍命令違反の全責任をとって自らの出発合図で発車する機関車に飛び込み自殺した。

この報はすぐに上部へ伝わり、鉄道大臣から遺族に異例の称頌状と弔慰金が下付された。また国鉄職員で結成する国有鉄道門司地方奉公会と当時の調川村長の呼びかけにより、当時のお金で約17,280円もの募金が集まり、遺族養育費として遺族に贈られたほか、その一部を使って1945年5月、駅構内に円柱状の称頌碑が作られた。

国鉄時代、駅が有人であった頃には毎年、駅の職員が花を手向け、丸山駅長を慰霊する光景が見られたという。

参考文献

  • 「九州の鉄道」倉地英夫・大谷節夫、西日本新聞社1980年
  • 鉄道九十年記念出版「鉄道碑めぐり」日本国有鉄道、1962年 P179-180「調川駅の殉難碑」

 碑文の全文が記されている。

関連項目

テンプレート:松浦鉄道西九州線