蒔田広定

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テンプレート:基礎情報 武士 蒔田 広定(まいた ひろさだ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名備中浅尾藩の初代藩主。

生涯

蒔田広光の次男として尾張国織津に生まれる。豊臣秀吉に仕えてその小姓頭となった。文禄元年(1592年)からの朝鮮出兵では肥前名護屋城に駐屯した。文禄4年(1595年)に父の広光が死去したため、家督とその所領である伊勢雲出1万石を継いだ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍に与して東軍方の伊勢安濃津城攻めに参加し、同城を占領した。しかし関ヶ原本戦で西軍が敗北すると、高野山に逃れて蟄居し、所領は没収されて改易となった。

その後、岳父の大島光義浅野長政浅野幸長らの弁護もあって罪を許され、備中浅尾に1万石を与えられて浅尾藩を立藩した。大坂の陣後に徳川秀忠御伽衆となる。元和9年(1623年)、寛永3年(1626年)の秀忠・家光父子の上洛にも付き従った。寛永13年(1636年)に死去。

脚注

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外部リンク

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