菊池政隆

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菊池 政隆(きくち まさたか、延徳3年(1491年)- 永正6年(1509年))は、菊池氏の第23代当主。菊池重安(肥前守)の子、第20代当主為邦の弟為安の孫にあたる。名は政隆のほか、初名とされる政朝(まさとも)や忠朝(ただとも)などがある。

1504年、先代の当主菊池能運が嗣子無くして死去した。能運の遺言により、はとこにあたる政朝(政隆)が養子となり、菊池氏の後継者となった。ところが1505年、かねてから政隆に反抗的であった肥後国人衆が阿蘇氏大友氏と共謀し、阿蘇惟長(後の菊池武経)を擁立して政隆を廃立しようとした。1507年、政隆は懸命に戦うも居城を追われ、島原に逃亡した。そして1509年、大友氏の攻撃を受けて捕らえられ、自害させられた。当主となり、わずか3年のことであった。

墓地は合志郡安国寺。

テンプレート:肥後菊池氏歴代当主