茨城県立太田第一高等学校

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テンプレート:日本の高等学校 茨城県立太田第一高等学校(いばらきけんりつおおただいいちこうとうがっこう)は茨城県常陸太田市栄町にある県立高等学校

概要

1900年に茨城県立水戸中学校(茨城県立水戸第一高等学校)の太田分校として設立される。2003年度に県立高校としては、茨城県立牛久栄進高等学校に次いで単位制(進学重視型)が導入された。

水郡線日立電鉄線の終着駅があった事などから、常陸太田市だけでなく日立市那珂市東海村常陸大宮市大子町等近隣の市町村各地から学生が集まり、これまでに約27000名の卒業生を送り出している。内閣官房長官を務めた梶山静六を始め、常陸太田近隣出身の有力者の中には太田第一高等学校の卒業生も多い。

新田次郎『ある町の高い煙突』の主人公である関根三郎の母校として描かれている。

校歌

校歌は全部で6番あるが、現在では6番目の歌詞は歌われなくなっている。

なお、6番目の歌詞は次のとおり。

「六、希望かがやく日の本の 前途のぞめばここちよや 有為の人と身をなして 国と天皇とに尽してむ」

学校行事

卒業50周年・25周年祝賀式

毎年4月の第3土曜日に卒業50年、卒業25年を迎えた先輩が母校に集まって、在校生と一緒に盛大な祝賀式を行う。祝賀式では、卒業生の挨拶として各界で活躍している卒業生の話を聞き、式の終盤には卒業生と在校生が共に校歌を歌う。

青龍祭

現在3年に一度、9月の半ばに行われている文化祭である。2日間の日程で開催され、各クラスによる喫茶・アトラクションなどの出店、文化部や有志による発表などで構成される。

1950年の創立50周年記念式典に合わせて始まった青龍祭も当初は毎年開催であったが、学力向上を図る目的で1954年から3年に一度の開催となる。しかし運用の面で経験者がいないことは不都合であるとして1976年から1987年までは毎年開催された。それ以降は再び3年に一度の開催となる。

クラスマッチ

  • 体育デー
青龍祭実施年は6月、それ以外は9月に行われる体育祭である。クラス対抗リレーサッカーバスケットボールなどの球技の他、オセロ競技も行われる。各クラスが独自に発注した「クラスTシャツ」を着用し競技に臨む。
笠松運動公園の敷地内および外周歩道を用いて毎年11月に実施される。男子10km、女子6kmのコースが設定される。当初は学校周辺(旧水府村方面)を回るコースであったが交通事情の影響で1985年から笠松運動公園で実施されている。

部活動

2012年4月現在、部活動として以下のものがある。弁論部水泳部、陸上部野球部、男子ソフトテニス部、女子ソフトテニス部、男子硬式テニス部、女子硬式テニス部、ラグビー部、卓球部、男子バレーボール部、女子バレーボール部、サッカー部、ハンドボール部、男子バスケットボール部、女子バスケットボール部、弓道部、剣道部、柔道部、数学研究部、吹奏楽部、書道部、美術部、英語研究部、写真部、JRC部、文芸部、物理部、化学部、生物部、地学部、地理部、史学部。

同好会は、囲碁将棋同好会、イラスト同好会、映画研究同好会の3つが活動している。

文化財

現在の資料館は、1904年(明治37年)から旧茨城県立太田中学校講堂として使用されている。

茨城県技師・駒杵勤治によって設計され、1976年(昭和51年)に国の重要文化財に指定されている。

沿革

著名な出身者

関連項目


外部リンク

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