箱根ターンパイク
テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox 箱根ターンパイク(はこねターンパイク)は、神奈川県小田原市から足柄下郡箱根町を経由し、同県足柄下郡湯河原町に至る、延長15.782kmの観光有料道路(一般自動車道)で、箱根ターンパイク株式会社 (HTPL) が保有・運営する私道である。なおターンパイク (turnpike) とは、有料(高速)道路、トールロードを意味する。交通情報などでは単に「ターンパイク」と称されることが多い[1]。125cc以下の二輪車(原付一種および原付二種)は通行禁止である。
ネーミングライツ(命名権)を採用しており、現在は同権を取得した自動車メーカーのマツダが命名した「MAZDA ターンパイク箱根」の名称となっている。
概要
箱根小田原本線(13.782km)と箱根伊豆連絡線(1.700km)の2路線からなる。カーブ・勾配とも比較的緩やかであるが、下りの場合はエンジンブレーキ・回生ブレーキを使用しないとブレーキが利かなくなるおそれがある。そのため、エンジンブレーキの使用を促す注意書きと、緊急時に衝突して停止するための砂山(緊急避難所)がある。
箱根小田原本線の終点付近には「MAZDAスカイラウンジ」(ドライブイン大観山)があり、ここからは芦ノ湖や富士山を見渡せる。
2002年(平成14年)の時点の報告では、1日平均通行台数3,196台、営業収支率は98.8%であり、支出が収入をわずかに上回る、いわゆる赤字事業路線である。
通行料金
- 普通車の通行料金
- 箱根小田原本線区間 720円
- 箱根伊豆連絡線区間 150円
全線では870円となる(1km単価55.1円)。両区間は独立しているので、料金は別々に支払う必要がある。
- 自動二輪の通行料金
- 箱根小田原本線区間 520円
- 箱根伊豆連絡線区間 110円
なお、料金所付近ではUターンができない。また、2007年(平成19年)3月から次世代型料金収受システム(IBAサービス)を導入している(サービスの利用には多機能型ETC車載器と事前の会員登録が必要)。
営業時間
箱根小田原本線と箱根伊豆連絡線とで異なる(詳細)。夜間は全線が完全に封鎖され通行できない。
運営主体
もともと東急グループの開発計画に伴って建設されたものであり、長年、東急グループの東急ターンパイク(現・TTP株式会社[2])が保有・運営していた。しかし、赤字が続いたこともあり、2004年(平成16年)3月にオーストラリアの投資会社・マッコーリー銀行グループが主体となるインフラストラクチャー・ファンドが設立した箱根ターンパイク株式会社に11億5700万円で営業譲渡され、運営が移管している。
マッコーリー等の買収は、年金基金など内外の長期資産運用を考えている投資家から資金を募り、箱根ターンパイクからの通行料収入や直営ドライブインからの収益を分配する目的がある。インフラとして既に完成しているため、新たに建設することに比べ、すぐに収益を分配できる利点がある。
諸外国ではこのようなインフラ(有料道路だけでなく、鉄道・発電所・港湾施設など多岐に渡る)を買収し、ファンドとして組成し資産運用に供する例が多くなっているが、テンプレート:要出典範囲
箱根新道との競争
カーブ、勾配とも比較的緩やかで快適なドライブを提供する民間道路であるが、箱根新道(国道1号バイパス、延長13.8km、無料)が、ほぼ同じ起終点(芦ノ湖付近⇔箱根湯本早川付近)で並走しているため、費用対到達時間効果では箱根ターンパイク側には分がなく、競争にならない。
そこで、箱根ターンパイク側は快適さを重視する観光客へのアピールと、箱根新道および新道までの取付道路、更には真鶴道路が混雑しているときの「更なる迂回路」(バイパスのバイパス機能)としての価値で勝負している。実際に、レジャーシーズンの休日等は、前述2道路は慢性的な交通飽和で速達性の確保を提供できない状態が多々発生する。そこで、主に金曜日や土曜日、休日前日の下り(箱根山登り)と日曜日、祝日の上り(山下り)の利用客獲得のため、電光掲示看板サインや、手製ミニ標識で誘導するなど、自社路線への誘導活動を展開している。
沿革
- 1954年(昭和29年)3月5日 - 東京急行電鉄(東急)が道路運送法に基づき、渋谷〜江ノ島間の一般自動車道(有料道路)「東急ターンパイク」を免許申請。
- 1955年(昭和30年)2月16日 - 吉浜開発株式会社設立。
- 1955年(昭和30年)8月23日 - 東京急行電鉄が小田原〜箱根間の一般自動車道(有料道路)「箱根ターンパイク」を免許申請。
- 1957年(昭和32年)8月26日 - 東京急行電鉄が藤沢〜小田原間の一般自動車道(有料道路)「湘南ターンパイク」を免許申請。
- 1957年(昭和32年)11月5日 - 吉浜開発株式会社が東京急行電鉄の傘下に入る。
- 1960年(昭和35年)5月12日 - 「箱根ターンパイク」の事業免許を取得。「東急ターンパイク」は第三京浜道路と、「湘南ターンパイク」は西湘バイパスと競合したため、認可されなかった。
- 1961年(昭和36年)5月10日 - 工事施行認可申請。
- 1961年(昭和36年)10月19日 - 工事施行認可。
- 1962年(昭和37年)10月19日 - 起工式挙行。
- 1963年(昭和38年)5月10日 - 吉浜開発株式会社が箱根ターンパイク株式会社に商号変更。東京急行電鉄から箱根ターンパイクの建設を引き継ぐ。
- 1965年(昭和40年)7月23日 - 大観山線が開通。
- 1966年(昭和41年)12月1日 - 箱根ターンパイク株式会社が東急ターンパイク株式会社に商号変更。
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 十国線開通。
- 1972年(昭和47年)3月31日 - 東急ターンパイク株式会社の経営悪化に伴い、東京急行電鉄が自動車道と東急ターンパイク株式会社が所有する土地を62億8853万円で買収。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 東京急行電鉄が東急ターンパイク株式会社に箱根ターンパイクの営業を委託。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 東京急行電鉄は、経営を箱根ターンパイク株式会社へ約11億円で譲渡。
- 2004年(平成16年)9月 - 東急ターンパイク株式会社解散。
- 2005年(平成17年)7月30日 - 東京急行電鉄からの譲渡後、改装工事をしていたドライブイン大観山にターンパイク・ビューラウンジが新装オープンした。
- 2007年(平成19年)3月1日 - ネーミングライツ(命名権)を東洋ゴム工業株式会社が取得したことにより、名称が「TOYO TIRES ターンパイク」となる[3][4]。
- 2014年(平成26年)4月25日 - NEXCO中日本が子会社を通して全株を取得。100%子会社とした。
- 2014年(平成26年)8月1日 - マツダ株式会社がネーミングライツ(命名権)を取得したことにより、名称が「MAZDA ターンパイク箱根」となる[5]。
出入口など
箱根小田原本線
- ターンパイク西湘分岐線分岐(西湘バイパス小田原線)
- ターンパイク早川出入口(小田原市街、小田原厚木道路方面)
- 早川料金所
- 御所の入駐車場
- 見晴台駐車場
- 鍋割駐車場
- 白銀駐車場
- ドライブイン大観山(この建物もネーミングライツ導入により「TOYO TIRES ビューラウンジ」→「MAZDAスカイラウンジ」と改められた)
- 1階 フードコート
- 2階 展望ラウンジ・富士見トイレ(富士山が望める)
- 大観山出入口(神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線・湯河原方面)
箱根伊豆連絡線
大観山・富士見峠間は、神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線となる。
- 富士見峠出入口(神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線・芦ノ湖方面)
- 鞍掛料金所
- ターンパイク湯河原峠出入口(静岡県道20号熱海箱根峠線 - 伊豆スカイライン・熱海峠方面)
- 湯河原パークウェイに接続。
脚注
- ↑ 日本放送協会(NHK)が交通情報でこの路線に言及する場合、これまでの路線名に近い「箱根のターンパイク」という表現を用いる。
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ NEWS FROM MAZDA マツダ、箱根ターンパイクのネーミングライツを取得2014年7月22日
関連項目
- 石橋山の戦い - テンプレート:要出典範囲
- 小田原征伐 - テンプレート:要出典範囲
- カーグラフィックTV - 自動車の試乗・取材に使用される。また最近では、自動車専門誌やテレビ番組などで当道路が使用されるときは「撮影協力 箱根ターンパイク」とクレジットされる。
- SS - 架空の設定で、登場人物達が箱根ターンパイクで公道レースを行う場面が描かれている。
- 頭文字D Fifth Stage - 同じく架空の設定で、登場人物が箱根ターンパイクでバトルを行う話がある。
- クシタニ - バイク用品のクシタニが大観山ビューラウンジにバイカーズカフェを開業している。
- 関東地方の道路一覧