等々力 (世田谷区)

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 等々力(とどろき)は、東京都世田谷区神奈川県川崎市中原区の地名である。起源は同じ等々力村に由来し、近代になって市町村制等が整備される中で、世田谷、川崎に分割されたものである。本稿では、このうち世田谷区の等々力を扱う。川崎市側については、等々力 (川崎市)を参照のこと。

概要

行政上は一丁目から八丁目から成り、北は目黒通りを越え上野毛通りあたりまで(八丁目)、南は環八通り付近まで、西は中町・野毛、東は目黒区自由が丘三丁目と接する(六丁目)。概ね、東急大井町線等々力 - 自由が丘間の北部、目黒通り等々力不動前 - 産能大前の沿線に広がっている。面積は1.732平方キロメートル、人口は25,447人(2014年(平成26年)3月1日現在)[1]

住居表示実施前までは、環八通りの南側・現在の玉堤地区も、世田谷区玉川等々力町の一部であった。また、多摩川対岸の、現在の川崎市中原区等々力は、かつては等々力村の一部であった。現在、川崎市の等々力とを直接結ぶ公共交通・橋梁・渡船はない。ただし、現在世田谷側の目黒通りから川崎側の宮内新横浜線の間の多摩川に橋を架橋する計画がもちあがり、現在、東京都・川崎市において協議が行われている。

等々力には、世田谷区役所玉川総合支所・玉川区民会館が設置されている。商業面では、等々力駅周辺にわずかに商店街が形成されているほかは、目黒通り沿いにスーパー(紀伊国屋)や飲食店がある程度であり、商業的な求心力は、近隣の二子玉川駅や自由が丘駅周辺にある。町域のほとんどは閑静な住宅街であり、比較的緑も多い。

等々力と同じように多摩川両岸に存在する同名の地名の例としては、他に瀬田、野毛(東京:野毛上野毛、川崎:下野毛)、宇奈根等の例がある。

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、等々力6-13-12の地点で76万5000円/m2となっている。世田谷区内で最も地価が高い。[2]

玉川地域の行政上の中心地としての性格

等々力は、江戸期以前は荏原郡等々力村であった。のち周辺の7ヶ村(用賀瀬田、上野毛、下野毛野良田奥沢尾山)と合併し玉川村(現在の世田谷区玉川地域)の一部となる。1932年(昭和7年)、東京市域拡張時に世田ヶ谷町駒沢町松沢村と合併し「東京市世田谷区」となった。

等々力村・玉川村時代、村役場は一貫して等々力にあった。世田谷区成立後は支所となり、現在は玉川総合支所が置かれる。

総合支所があることや玉川地区の行政上の中心としての歴史的経緯から、古くからバス路線が発達してきた。現在は、目黒通り方面、深沢・駒沢方面(至渋谷)、中町・用賀方面、弦巻・祖師谷方面、玉堤方面などの区内各地に向けてバスが発着する。

支所の裏手には東急大井町線等々力駅がある。駅周辺は、住宅や小規模商店が軒を連ねる。

「等々力」の由来

等々力の名は、等々力渓谷に流れ落ちる「不動の滝」の轟く音に由来するという説が有名だが、ほかにも渓谷の崩落する音から来たという説、兎々呂城(「とどろじょう」のよみが「とどろき」と変化/現在の園芸高校の地)を由来とする説等があり、いずれが正しいのかは詳らかではない。

等々力渓谷

テンプレート:Main 等々力には、23区内唯一の渓谷である等々力渓谷がある。等々力駅から等々力渓谷まで、ゴルフ橋を通って徒歩2分ほどの場所にある。西側を谷沢川が流れ、この川が渓谷を形成している。目黒通りが傍を通り、環八通りが渓谷の上に蓋をするように通っている。

渓谷地内には、古墳時代後期から奈良時代7世紀後半 - 8世紀)のものと推定される横穴式墳墓があり、「等々力渓谷横穴古墳」と呼ばれている。不動の滝の近くには平安時代に創建された「等々力不動尊」がある。東京都指定名勝にもなっている。

施設・公園等

行政区画の変遷

  • 品川県荏原郡等々力村→東京府荏原郡等々力村→東京府荏原郡玉川村等々力→東京府東京市世田谷区玉川等々力町→東京都世田谷区玉川等々力町一・二丁目→世田谷区等々力一 - 八丁目・玉堤一・二丁目
  • 神奈川側:品川県荏原郡等々力村→東京府荏原郡等々力村→東京府荏原郡玉川村等々力→神奈川県橘樹郡中原村(→中原町)等々力→川崎市等々力→川崎市中原区等々力

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

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  1. 平成26年(2014年)の世田谷区の町丁別人口と世帯数世田谷区公式サイト 2014年3月6日閲覧
  2. 国土交通省地価公示・都道府県地価調査