第4次伊藤内閣

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概要

これまでの3度の伊藤内閣と異なり、伊藤系官僚と旧憲政党によって結成された立憲政友会を与党とする事実上の政党内閣である。1900年(明治33年)9月15日に同党が結成されると、前首相山縣有朋が結党直後の同党を揺さぶるために総裁に就任した伊藤に強引に政権を押し付ける形で成立した。外務大臣陸軍大臣海軍大臣以外は全員が政友会に入党していた[1]。だが、山縣は陸軍貴族院を利用して政友会攻撃を行い、明治天皇詔書によって漸く事態を収拾した。加えて政友会の実力者であった逓信大臣星亨汚職で辞職に追い込まれると、未だに融和が進んでいなかった伊藤系官僚と旧憲政党系の意見対立が露呈する。一方、政友会内部では鉄道の新規着工を要求する予算を求める声が上がり、それを新しい逓信大臣であった原敬が必死に押止めていたが、そんな折に渡辺国武大蔵大臣が「公債に依存した事業の全停止」を提案した。当時、鉄道敷設法によって鉄道建設は鉄道公債の発行によって全て賄うこととされており、この提案は新規どころか既存の鉄道工事も全て停止すると言っているのにも等しかった。これに激怒した原や他の閣僚達の抗議を受けた渡辺が孤立するに至って伊藤は辞任を表明、1901年(明治34年)5月10日から班列であった西園寺公望枢密院議長が臨時首相を務めた。

国務大臣

職名 氏名 就任日 退任日 備考
内閣総理大臣 伊藤博文 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)5月10日
西園寺公望 100px 1901年(明治34年)5月10日 1901年(明治34年)6月2日 臨時兼任
外務大臣 加藤高明 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)6月2日
内務大臣 末松謙澄 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)6月2日
大蔵大臣 渡辺国武 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)5月14日
(西園寺公望) 100px 1901年(明治34年)5月14日 1901年(明治34年)6月2日 臨時兼任
陸軍大臣 桂太郎 100px 1900年(明治33年)10月19日 1900年(明治33年)12月23日
児玉源太郎 100px 1900年(明治33年)12月23日 1901年(明治34年)6月2日 兼任
海軍大臣 山本権兵衛 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)6月2日
司法大臣 金子堅太郎 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)6月2日
文部大臣 松田正久 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)6月2日
農商務大臣 林有造 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)6月2日
逓信大臣 星亨 100px 1900年(明治33年)10月19日 1900年(明治33年)12月21日
原敬 100px 1900年(明治33年)12月22日 1901年(明治34年)6月2日
班列 西園寺公望 100px 1900年(明治33年)10月27日 1901年(明治34年)6月2日

その他の人事

職名 氏名 就任日 退任日 備考
内閣書記官長 鮫島武之助 100px 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)6月2日
法制局長官 奥田義人 100px 1900年(明治33年)10月24日 1901年(明治34年)6月2日

脚注

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外部リンク


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  1. 井上寿一『政友会と民政党』2012年、中公新書、p7